げさまで全く助かりました、近いうち両国でまた一旗揚げる都合ですから、どうぞ御贔屓《ごひいき》を頼みます」
「それはまあよかった。甲府へ残して置いた連中もみんな、無事でいなすったかね」
「ええ、みんな無事でおりましたが、ただ一人だけどうしても見つからないんですよ。あれがわたしども一座の花形なんですが、火事場からどこへ行ったか、焼け死んだ様子もないから、どこかへ逃げたんだろうと、よく土地の人に頼んでおきました、広いところではありませんから、そのうちに見つかるだろうと思っていますよ。あれが見つかりさえすれば、一人も欠けずに面《かお》が揃いますけれど、そうでなくっても、近いうちに花々しくやってみる当りが附きましたのは、みんな親方のおかげでござんすよ。あの時に親方がいて下さらなければ、一座の者は目も当てられない醜態《ざま》になってしまうところでした」
「俺も少しばかりのお金が、お前さんのお役に立って嬉しいというものだ」
「それから親方、府中でお目にかかった時は、お前さんはたしか、百蔵さんとおっしゃいましたが、ここで銀造さんとおっしゃるのは、どういうわけでございます」
「百蔵の方は近ごろ通りが悪いから、それで銀造と変えたのだ、銀造というのが餓鬼《がき》の時分からの名前さ、これから百の方はやめにして銀の方だけにしてもらいたい。もう一つの頼みは、なるべく甲州ということを言ってもらいたくねえのだ、お前と俺との馴染《なじみ》もあの時限りのことにして、人が聞いたら、兄貴だとか親類だとか言って済ましておいてもらいてえのだ」
「ようございますとも。それはそうと親方、お前さんは、ほんとうにおかみさんがないのですか。あの時のお話では、おかみさんは三年前|亡《な》くなったようなお話でしたけれど、なんだかあてになりませんね」
「ナニ、嘘をつくものか、おかみさんなんぞはありゃしねえ」
「それがやっぱり嘘でございますよ」
「それじゃなにか、俺におかみさんがあるというのかね」
「ありますとも、大ありです」
「こいつは聞き物だね。無いものでも有ると言われりゃ悪い気持はしねえが、お前からそう言われると、どうやら痛くねえ腹を探られるようだ」
「申しわけをするだけ弱味があるんですね、隠したって駄目ですよ」
「驚いたね、ああして、男世帯の銀床《ぎんどこ》に無《ね》えものは女っ気と亭主の片腕だと、町内でこんな評判を立てられているところへ、お前だけが俺に濡衣《ぬれぎぬ》を着せようというものだ」
「そりゃいけません、ここの家に女っ気が有るか無いかということは、一目見れば直ぐにわかりますよ、女は細かいところへ気がつきますからね」
「それでは、俺の家に女がいるというのかね」
「そうですとも」
こんなことから痴話《ちわ》が嵩《こう》じてゆきました。
十
その時分、根岸に住んでいたお絹が、今日は小女《こおんな》を連れて、どこの奥様かという風をして、山下を歩いて帰ります。
雁鍋《がんなべ》の前へ来た時に、見たような人がその店から出かけたのに気がつきました。
男と女と二人で微酔機嫌《ほろよいきげん》で店を出かけたうちの男の方が、東海道下りから甲州入りまで附纏《つきまと》って来たがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵に相違ないから、お絹は自分の面《かお》を隠そうとしました。
しかし向うはちっとも気がつかないで、二人で笑いながら話し合って歩いて行きます。片腕の無い百蔵は前と変らず元気なもので、身なりなども小綺麗にしているのでした。女はと見れば、これは眉を落した年増《としま》でなかなか美《い》い女でした。
お絹はそれを見ると、むらむらと嫉《ねた》ましくなりました。自分はなにもがんりき[#「がんりき」に傍点]に惚《ほ》れてはいない、東海道で附纏われた時も、内心では軽蔑《けいべつ》しながら調子を合せて来たが、男はなかなかしつこい。しつこいほど面白がって翻弄《ほんろう》気取りで一緒に来て、とうとう腕を一本落させることにしてしまって、死ぬか生きるかでウンウン唸《うな》っているのを、山の中へ置きばなしで逃げ出して、その時は、さすがに気の毒と思わないでもなかったが、思い出した時分には、柄にない男ぶりをしてわたしを張りにかかった、その罰はああしたものと腹の中で笑っているくらいでしたが、今その男がこうしてピンピンしている上に、他女《あだしおんな》と摺《す》れつもつれつして歩くところを見ると、お絹は自分勝手な嫉《ねた》みをはじめてしまいました。
「そういうわけなら、あの子をわたしが預かりましょうよ」
それとも知らず、男女の話は甘ったるい。
「そんなことはできねえ」
百蔵はわざとらしく首を振ります。
「そんなに、わたしという者に信用が置けないの」
「お前に預けて売物にでもされた日に
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