、また一人の男、今度は金箱のようなものを背中に確《しか》と結びつけて、ムックリと出て来ました。それと同時に前に取って返した男、それもまたムックリと出て来て、濠の中へ引っぱった細引の縄を手繰《たぐ》り寄せ、その一端を前に置き放した金箱に結びつけて背中へ引背負《ひきしょ》って、二人は煙の如く消えてしまいました。
 そこには二重の怪しみがある。これはてっきり曲者《くせもの》と思うた怪しみと、もう一つは、その曲者二人とも見覚えのあるような形。先に出て来たのが背と言い恰好《かっこう》と言い七兵衛そっくり、あとから来たのは片腕が無いようであった。してみれば徳間《とくま》の山の中から拾って来たあのがんりき[#「がんりき」に傍点]という男でもあろうか。
 兵馬は実に不審に堪えませんでした。だいそれた甲府城内の御金蔵破り、いま眼《ま》のあたり見れば、それはドチラも自分の知った人、のみならず自分が世話になった人、つい幾日前まで同じ宿にいた人。あまりの不審に兵馬はあとを追いかけてみました。しかし、もうどこへ行ったか姿が見えません。
 これを二人の方にしてからが解《げ》せぬことであります。百蔵も江戸へ出て小商《こあきな》いでもして堅気になると言い、七兵衛もそれを賛成したのに、まだこの辺に滞《とどこお》っていて、ついにこんなだいそれたことをやり出すようになったのか、さりとは測りがたないなりゆきと言わねばならぬ。
 兵馬はそのことから、七兵衛なる者に対する疑点が深くなりました。もしも彼は表面あんなことにしていて、内実はこんな悪事を働いている人間ではなかったか知ら。そうだと知れば、少なくともその世話になったことのある自分にとっては一大事だ。人は見かけによらぬもの、恃《たの》みがたないものであるわいと、兵馬も茫然《ぼうぜん》として我を忘れていました。
 その時に、追手《おうて》の橋の方で提灯の光あまた。
「櫓下の御金蔵破り! 出合え、出合え」
 兵馬は気がつけば、危ないこと、自分も疑われるには充分な立場にいる。さてどちらへ避けたものと思って見廻したが、どちらにも提灯。はて迷惑なことが出来たわいと思いました。
 兵馬はぜひなく覆面を外《はず》して追手通りの方へ引返しました。無論のこと、そこには警固の侍、足軽がたくさんいる、その網にひっかかるは覚悟の上で、ひっかかった時は尋常に言いわけをしようと心をきめてやって来たが、果して、
「待て!」
 バラバラと兵馬を取捲いて来た警固の者。
「神妙に致せ」
 そこで兵馬は調べられてしまいました。
「今時分、何しにここへ来られた」
「ちと用事あって」
「何用があって」
「神尾主膳殿まで罷《まか》り越《こ》したく」
「神尾主膳殿方へ? して貴殿は何者」
「拙者は江戸麹町番町、旗本片柳伴次郎家中、宇津木兵馬と申す者」
「神尾殿とは御昵懇《ごじっこん》の間柄か」
「まだ御面会は致しませぬ」
「面識もないものが、この真夜中に人を訪ねるとは心得難し」
「大切の用向あるにより」
「大切の用向とは?」
「それは、御城内勤番衆二三の方にも知合いがあるにより、事情を述べれば委細明白のこと」
「その言いわけは暗い。他国の者、夜中《やちゅう》このあたりを徘徊《はいかい》致すは不審の至り、尋常に縄にかからっしゃい」
「縄に?」
「温和《おとな》しくお縄を頂戴致せ」
「縄にかかるような覚えはない」
「手向いさっしゃるか」
「なかなか。縄をいただくべき覚えなきにより、手向い致す心もござらぬ」
「言い逃れを致さんとするか、不敵者」
「これは理不尽《りふじん》な」
 兵馬の言いわけは聞き入れられませんでした。それで兵馬に縄をかけようと群《むら》がって来た時に、その中から分別ありげな武士《さむらい》が一人出て来ました。
「お見受け申すところ、お年若のようでもあるし、両刀の身分、且《かつ》は番町片柳殿の家中と申されるからには拙者にも多少の思い当りがござる、人違いして滅多なことがあってはよろしくあるまい。しかしながら、今宵の大変に出会いなされたが貴殿にとっての不仕合せ故、ともかくも尋常に奉行まで御同行下さるよう。委細の申し開きは奉行に逢ってなさるがよろしかろうと存ずる」
 こう穏《おだや》かに言われて、兵馬は大勢に囲《かこ》まれて勘定奉行《かんじょうぶぎょう》の役宅の方へ引かれて行ってしまいました。
 兵馬は勘定奉行の役宅へ預けられて、ほとんど牢屋同様のところでその夜を明かしました。夜は明けたけれども、兵馬の身の明《あか》りは立たなくなりました。
 盗賊の行方《ゆくえ》は一向わからない上に、彼らが忍び出でた痕跡《こんせき》のある濠端は、ちょうど兵馬が通りかかったと同じ方向でした。その上に、兵馬は神尾主膳を尋ねると言ったけれども、神尾は兵馬なるものをいっこう知らな
前へ 次へ
全34ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング