げさまで全く助かりました、近いうち両国でまた一旗揚げる都合ですから、どうぞ御贔屓《ごひいき》を頼みます」
「それはまあよかった。甲府へ残して置いた連中もみんな、無事でいなすったかね」
「ええ、みんな無事でおりましたが、ただ一人だけどうしても見つからないんですよ。あれがわたしども一座の花形なんですが、火事場からどこへ行ったか、焼け死んだ様子もないから、どこかへ逃げたんだろうと、よく土地の人に頼んでおきました、広いところではありませんから、そのうちに見つかるだろうと思っていますよ。あれが見つかりさえすれば、一人も欠けずに面《かお》が揃いますけれど、そうでなくっても、近いうちに花々しくやってみる当りが附きましたのは、みんな親方のおかげでござんすよ。あの時に親方がいて下さらなければ、一座の者は目も当てられない醜態《ざま》になってしまうところでした」
「俺も少しばかりのお金が、お前さんのお役に立って嬉しいというものだ」
「それから親方、府中でお目にかかった時は、お前さんはたしか、百蔵さんとおっしゃいましたが、ここで銀造さんとおっしゃるのは、どういうわけでございます」
「百蔵の方は近ごろ通りが悪いから、それで銀造と変えたのだ、銀造というのが餓鬼《がき》の時分からの名前さ、これから百の方はやめにして銀の方だけにしてもらいたい。もう一つの頼みは、なるべく甲州ということを言ってもらいたくねえのだ、お前と俺との馴染《なじみ》もあの時限りのことにして、人が聞いたら、兄貴だとか親類だとか言って済ましておいてもらいてえのだ」
「ようございますとも。それはそうと親方、お前さんは、ほんとうにおかみさんがないのですか。あの時のお話では、おかみさんは三年前|亡《な》くなったようなお話でしたけれど、なんだかあてになりませんね」
「ナニ、嘘をつくものか、おかみさんなんぞはありゃしねえ」
「それがやっぱり嘘でございますよ」
「それじゃなにか、俺におかみさんがあるというのかね」
「ありますとも、大ありです」
「こいつは聞き物だね。無いものでも有ると言われりゃ悪い気持はしねえが、お前からそう言われると、どうやら痛くねえ腹を探られるようだ」
「申しわけをするだけ弱味があるんですね、隠したって駄目ですよ」
「驚いたね、ああして、男世帯の銀床《ぎんどこ》に無《ね》えものは女っ気と亭主の片腕だと、町内でこんな評判を立
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