ました。
「俺らもあれから、ずいぶん運が悪くなり通しでね、なかなか苦労をしたよ」
「そりゃお気の毒でしたねえ」
「あっちへ行ってもこっちへ行ってもばかにされるんで、やりきれねえ」
 今までの突慳貪《つっけんどん》に引換えて訴えるような声で言い出したから、七兵衛もおかしくもあり、かわいそうにもなりました。
「私もお前さんの噂を聞いて、ほんとにお気の毒でたまらないから、どこかで逢ったら、いろいろお話をして上げようと思っていたところでした、今日はまあ、いいところで会いました」
 七兵衛と米友とは、どっちが先ということなしに両国橋を、本所の方へ向いて渡りながら身の上話。

         十五

 七兵衛に焚《た》きつけられたお角は、案の如く口惜しがってしまいました。百蔵はこのごろ、さる後家さんのところへ出入りするようになって、その後家さんが近いうち甲州へ出かけるに就いて、百蔵もその跡を追って甲州へ行くから気をつけなければならないと、七兵衛はお角を嗾《け》しかけました。その上、右の後家さんというのは根岸に住んでいて、先日お前さんの前へワザと古証文を突きつけたりなんぞした女だということを聞かされると、勝気のお角は矢も楯もたまらないほどに逆上《のぼ》せ、
「あんな女にこの上ばかにされてたまるものか」
 お角は小屋へ帰って、その腹癒《はらいせ》に、せっかく来合せていた米友をさんざんに罵《ののし》って、その足でまた山下の銀床へ飛んで行きました。そうして百蔵の胸倉を取って思う存分に文句を言いました。さすがのがんりき[#「がんりき」に傍点]もこれには閉口して、しきりに申しわけをしてみたけれどお角は耳にも入れないから、結局がんりき[#「がんりき」に傍点]がお角の前に謝罪《あやま》って、やっとその場を済ませたけれど、それからお角はがんりき[#「がんりき」に傍点]の家に入浸《いりびた》りで、その傍に附きっきりということになってしまいました。何か言えば刃物三昧《はものざんまい》でもしかねない勢いであったからがんりき[#「がんりき」に傍点]も全く閉口して、当分、外出もできないことになってしまいました。
 七兵衛はその有様を見て、手を拍って自分の策略が当ったことを喜び、その間に手形が下りて、お絹とお松とはがんりき[#「がんりき」に傍点]を出し抜いて甲州街道への旅路に出かけました。七兵衛は自分が見
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