「そうガミガミ出られちゃあ、せっかく親切に話をして上げても何にもならない」
「俺らはお前に親切をしてくれろと言った覚えはねえ」
「でも、こうして身投げでもしようというには、よくよくのことがあるんでしょう、御主人のお金を遣《つか》い込んだとか、身の振り方に困ったとか、何かよくよくのことがあるから、そんな無分別な考えを起すんだろう、それを通りかかって見れば、みすみす見捨てて行くのは人情としてできないことだから、それで大きにお世話だが、言葉をかけてみる気になりました」
「いつ、俺らが身投げをすると言ったい、お前《めえ》、俺らがここにいたって、身投げをするつもりでここにいるんだか、また別に何か考えているんだか、人の心持がよくわかるね、お前の方で身投げをするように見たって、俺らの方では身投げなんぞする気じゃあねえんだ」
「兄さん、そんなことを言って強がりを言ってみたところで、様子でわかりますよ、様子で。ほかから見るとお前さんの様子というものがよっぽど変で、口惜しまぎれに身投げをするか、人殺しをするか、その思案に暮れているようなあんばいに見えますから、それで私は見すごしができないわけなんでございます」
「嘘を言うない」
「嘘なもんですか。第一お前さんは伊勢の国からはるばる出ておいでなすって、今晩泊るところもないから、それで死ぬ気におなんなすったのだろう」
「何だ、お前は俺らが伊勢の国から出て来たことを知ってるのかい」
「知っていますとも、伊勢の国で宇治山田の米友さんというのはお前さんだろう」
「おやおや、俺らのところから名前まで知ってやがる、俺らの方ではお前を知らねえ」
「それで兄さん、お前は盗賊の罪を被《き》て、あの尾上山《おべやま》というのから突き落されて死んだはずだが、それが生き返って、いま両国橋の上に立っているんだから、私は驚きましたよ、幽霊かと思いましたよ」
「おや、お前はそんなことまで知ってるのか」
 米友は不安と怪訝《けげん》と交々《こもごも》、七兵衛の面を見返しました。
「心配しなくってもようございます、お前さんの罪のないことは、私がよく知っているのでございますからね」
「うむ、俺らには全く罪がねえんだ、盗人《ぬすっと》はほかにあるんだ」
「そうでしょうとも、お前さんは盗人なんぞをなさるような方ではない」
 七兵衛の信用を得て、米友はやや安《やす》んじた形であり
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