あんな物騒な人に娘盛りの子を預けてはおけません」
「何が物騒なんでしょう、人には親切で、銭金《ぜにかね》の切れっばなれはよし、男っぷりだって、まんざらじゃありませんからね。若いとき喧嘩をして、腕に怪我をしてから切り落すようになったんだから、軍人《いくさにん》の向う傷と同じで、男にとっては名聞《みょうもん》なくらいなものですよ、わたしはあの片腕が大好きなのさ」
「おやおや、首の無い殿御を抱いて寝るというお姫様もあるんだから、片腕のないところもまた乙《おつ》でしょうけれど、あの男が片腕をなくしたわけを聞いてしまったらお前さん、三年の恋も冷《さ》めるでしょう。何も知らないで、あんな男に頼まれておいでなすったお前さんがお気の毒」
「そんなことを聞きに上ったんじゃありません、あの人の片腕がどうしようと、そんなことは大きなお世話じゃありませんか」
お角は非常に腹を立てました。自分に恥をかかせようと企《たく》んでするらしいこの女の仕打ちが憎《にく》らしくてたまらなくなりました。こうなっては腕ずくでも、お松を連れて帰らねば承知ができなくなったから、
「何を言ってやがるんだい、誘拐《かどわかし》め、ぐずぐず言わずに娘をお出しよ、出さないとためにならないよ」
こう言って太返《ふてかえ》りました。近所隣りへ聞えるような大きな声で罵《ののし》りました。
「いいえ、かえすことはできません。何ですお前さん、人の家へ来て失礼な、そのなりは。さあ早く帰って下さい、お帰りなさい」
お絹も負けてはいませんでした。
「失礼は持前《もちまえ》ですからね、とてもお前さんのようにお上品な面《かお》をして、人の娘を誘拐《かどわか》すようなことはできませんよ。わたしに失礼な真似をしてもらいたくなければ娘をお出し、大きな声をされるのがいやだと思ったら、預けておいたお嬢さんを出しておしまい、ぐずぐず言ってると腕ずくだよ、わたしはお前さんに噛《かじ》りつくよ」
「勝手になさい。わたしの体に指でも差してごらん、わたしもただは置かないが、この近所には、わたしの知合いで、公方様《くぼうさま》の兵隊を指図をする重い役人もいるんだから、お前さんのためになりませんよ」
「面白いね、御家人がいたら出てもらおうじゃありませんか、公方様の兵隊を指図なさるお役人がおいでなすったら、その兵隊を繰出してもらおうじゃありませんか、筋道を立
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