顫《ふる》えが見えるのが不思議です。
「黒さん、しっかり頼むよ」
 道庵先生に言葉をかけられるたびに、印度人がドギマギして、ほかの人が見てもおかしいと思うくらいに、槍の扱いがしどろになってしまうから見物が、
「なんだか危なっかしい手つきだ」
 幸いに面の色は真黒だから、表情が更にわからないけれど、どうも黒さんの調子が甚だ変なのであります。それでもやっと数番の槍投げを了《お》えて、
「次は槍飛び!」
 口上がかかると、
「しっかりやれ、道庵がついてるぞ!」
 道庵がまた大きな声。
 槍飛びの芸当にかかるはずの印度人が、この時ふいと舞台から逃げ出しました。
「おい黒さん」
 口上言いが驚いて呼び止める。それを耳にも入れないで、印度人は、槍を突いて跛足《びっこ》を飛ばして楽屋《がくや》の方へ逃げ込みます。
「おや、黒さん、どうしたんだい」
 口上言いや出方《でかた》が飛んで行って、印度人を連れ戻そうとするのを、印度人は頓着《とんちゃく》なしに楽屋に逃げ込んでしまいます。
 いよいよ本芸にかかろうとする前に、肝腎《かんじん》の太夫さんが黙って逃げ出したのだから、
「どうしたんだ」
「怪《おか》
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