する。
「どうだ金公、こいつが負けたら四つ置くか、それとも一升買うか。キュウキュウ言ったところで碁になっておらんわ、投げた方がよかろうぜ」
実際、金公は弱らせられているらしく、キュウキュウ言って盤面を見つめていたが、やがて窮余の一石をパチリと置く。
「おやおや、自暴《やけ》とおいでなすったね、自暴と気狂いほど怖《こわ》いものはないと権現様がおっしゃった。自暴もまた侮るべからず、こうして継いでおけば問題はござるまい」
「なるほど、うーん」
金公が唸《うな》り出してやがて降参してしまうと大入道大得意、カランカランと打笑う。兵馬はそれに興を催して、
「御出家、一石お願い致しましょうか」
「おやおや、お前様も碁をお打ちなさるか。それはそれは、お若いに頼もしいことじゃ。金公では下拙《げせつ》いささか喰い足りずと思うていたところ、さあ遠慮なくいらっしゃい」
「しからばこの人と同じこと、三目でお相手を致してみよう」
「よろしい、三目、さあいらっしゃい」
「パチリ」
「パチリ」
「これは感心、定石《じょうせき》を心得ておいでなさるところが感心、とかく初心のうちは、そう打っておいでになるがよろしい、其許《そこもと》はなかなか筋がようござるな、見込みのあるお手筋《てすじ》じゃ、そうして定石から素直《すなお》に打ち上げてゆかぬと悪い癖が出て物にならぬ。物の譬《たと》えがここにござる、金公などを御覧《ごろう》じろ、器用一辺で、あっちへ遣繰《やりく》り、こっちへ遣繰り、キュウキュウひど工面《くめん》をしながら打っている、それで年中ピーピー苦しみ通しで、おしまいの果てが投げと来るから目も当てられない。そこへゆくと下拙《げせつ》の如く定石から打ち込んだものには、悠揚として迫らぬところがある、よし勝負には負けても碁には勝つというものじゃ。ここにござる金公の如きは勝負にはむろん負け、碁においてはもとより問題にならず」
引合いに出された金公が苦《にが》い面をする。
「パチリ」
「パチリ」
「ええ、これはうまい手を打ったな、これはやられたわい、なかなか油断のならぬ手筋じゃ、金公を相手にする了簡《りょうけん》ではチトむずかしい、金公の如きを相手にしている故、下拙もつい見落しが出来て困るて。仕方がない、そこはそれ若い者に花、しかしこれはどうも金公とは違う」
一口上げに金公金公と、よい方へは引合いに出さないから、金助はいよいよ不平な面をします。
「いや、なかなかやるやる、お前様はよい師匠に就いて稽古をなされたな、ことに上手《うわて》のものとのみ手合せをしておいでと見えて、下手《したて》より上手へ強いお手筋じゃ。いや、頼もしうござる。ハテこの一手、これがわからぬ、いやこれはどうも」
木莵入《ずくにゅう》は頭の上へ手を置いてしまったが、大分こたえたと見えて、金公の棚下《たなおろ》しも出なくなって唸り出すと、今度は金公が首を突き出して、
「入道、少し困ったな」
「うーん」
「なるほど、定石から打ち込んだものには違ったところがあるな」
「うーん」
「入道、投げた方がおためになりそうだぜ、碁になっておらん、投げて一升買うか、そうでなければ白をお渡し申して出直すんだ」
「うーん」
やっとのことで入道が一石、千貫の石を置くような手附《てつき》。
兵馬は番町の伯父の家にいる時、伯父から手ほどきの定石を習い始め、余技とは言いながら相当に心得たものでありました。この坊主なかなか弱くはないけれど、自分に対して白を持つほどの腕ではないと見て取ったのに、三目置いているから、兵馬にとっては楽なもの、入道はなかば頃からさんざんに苦しんで、とうとう降参してしまって苦《にが》い面をすると、金公が大よろこびで復讐の意味を兼ねた駄句を作ったりなどして嘲弄します。入道甚だ安からず思ってまた一石、戦いを挑《いど》む。こんな閑《ひま》つぶしをやっていたが雨はやまないのに、入道は負ければ負けるほど躍起《やっき》になって、兵馬に畳みかけて戦いを挑む。兵馬もその相手になって、とうとうその晩は金公と一緒にこの堂守の家へ一泊することになりました。
兵馬はその晩、勧められるままに、この堂守の家へ泊り込んでしまいました。
兵馬を一室に寝かしておいて、かの木莵入と金公とは、酒を飲み出します。金公が薄っぺらな口先でしきりにキザを言っては入道に愚弄されるのが、兵馬の寝間へよく聞える。愚弄されても金公は一向お感じがなくベラベラ喋る。さきに柿の木の上で助けてくれ助けてくれと泣き声を出したことなどは※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》にも出さず、鬼の三匹も退治して来たようなことを言っているから、兵馬はイヤな奴だと思います。
この二人はベチャクチャと喋った揚句《あげく》に、打連れてこの堂を出かけて行きまし
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