く霽《は》れたから天気にはまず懸念《けねん》がありません。
 お絹は駕籠の中から景色を見る。竜之助は腕を組んで俯向《うつむ》いている。
「百蔵さん」
 お絹はがんりき[#「がんりき」に傍点]のことを百蔵さんと呼ぶ。
「何でございます」
「まだその徳間峠《とくまとうげ》とやらまでは遠いの」
「もう直ぐでございます、この辺から登りになっていますから、もう少しすると知らず知らず峠の方へ出て参ります」
「なんだか道が後戻《あともど》りをするような気がしますねえ」
「峠へ出るまでは少し廻りになりますから、富士の山に押されるようなあんばいになります、その代り峠へ出てしまえば、それからは富士の根へ頭を突込《つっこ》んで行くと同じことで、爪先下《つまさきさが》りに富士川まで出てしまうんでございますから楽なもので」
と言いながら、竜之助の駕籠《かご》わきにいたがんりき[#「がんりき」に傍点]が、お絹の駕籠近くへやって来て、
「それでもまあ、天気がこの通り霽《は》れましたからよろしゅうございます」
「天気はよいけれども、お前さんのために飛んでもないところへつれ込まれてしまいました」
「へへ御冗談でしょう、
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