ごにゅうらい》になったように騒ぐのだなと思っているところへ、お徳が入って来て、
「さあ、あれが先程お噂《うわさ》を申しました、望月様のお嫁御寮、あなた様が一目見たいとおっしゃったお方、いま直ぐこの下を通りますのでございます」
お徳は手を拭きながら、これも御多分に洩れず、珍らしそうに息を弾《はず》ませて飛んで来て、竜之助のいる二階の欄干から下を見て、
「あれで十九。十九にしては落着きがおあり過ぎなさるほど。それはお人柄《ひとがら》がよいからでござんしょう、お婿様《むこさま》よりは一段|勝《まさ》っておいでなさる、お婿様は好いお人だけれど、なんだかそれほどに威がないようなお方、それがかえってよろしゅうござんしょう。何しろあの大家を踏まえて行くには、旦那様よりも奥様が、これからしっかりあそばさなくてはなりませぬ、好いところへお嫁入りすればするほど、お仕合《しあわ》せもお仕合せだがお骨も折れましょう」
お徳が、こんな独言《ひとりごと》を言っている間に、嫁御寮の一行はゾロゾロとこの家の下を通り過ぎて行ってしまいます。
「ほんとうに、あんなお嫁様をお持ちになったお婿様の果報が思いやられます、お里帰りの五日が、どんなにお待遠しいことでしょう、両方の親御さんたちも本当にこれで御安心。ああいうことを見ますと、ひとごとでも嬉しくてたまりませぬ」
「里帰りといえば、これからあの八幡村まで帰るのか」
「左様でござんす、お馬やら釣台《つりだい》やら、あとからあの通り続いて参りますが、なんでも御旧家のこと故、すっかり古式でやるのだそうでござんす」
「いや婚礼というものは、慶《めで》たいことではあろうけれど、なかなか手数のかかるものじゃ」
「誰でも一生に一度は、その手数をかけねばならぬものでござんす。あなた様なぞもさだめし、こんなにおなりなされぬ前は、あんな手数をかけて、お喜びになったものでござんしょう」
お徳は愛嬌《あいきょう》よく言う。
「あたりまえならば、そんなことになるのであったろうが、わしのはあたりまえの道を失ってしまったから、それで更に手数がかからなかった」
七
旗本の神尾主膳《かみおしゅぜん》はお預けから、とうとう甲府|勝手《かって》に遷《うつ》されてしまって、まだ若いのに、もう浮む瀬もない地位に落されたが、当人はいっこう平気らしくあります。
地位の変ったことは平気らしいけれども、うまい酒の飲めないことが何よりの苦痛と見えて、もとのように江戸の真中で馬鹿遊びをするようなことができないで、時時|折助《おりすけ》を引っぱって桜町《さくらちょう》へ飲みに来たり、こっそりと柳町《やなぎちょう》へ遊びに出たりするくらいのことで、毎日おもしろくもない甲州の山ばかりを睨《にら》めて暮らしていましたが、今宵もそのお気に入りの折助をつれて柳町の旗亭《きてい》へ飲みに来ていました。
「権六《ごんろく》、なんだか酒が酸《す》っぱいなあ」
権六というのは折助の名、これは江戸から附いて来た渡り者の折助であります。
折助の前身には無頼漢《ぶらいかん》もあれば、武士の上りもある。この権六は権六が本名でなくて、もう少し気の利いた名前のありそうな折助、前身は百姓町人でもなく、生《は》え抜きの無頼漢でもなく、ともかく神尾が引っぱり廻して酒の相手をさせるだけのこたえはありそうな折助であります。
「へへ、どうも仕方がございません」
権六はお流れを頂戴する。
「うまい酒を飲みたいなあ」
「御意《ぎょい》の通りでございます」
「何かうまい酒を飲むような工面《くめん》はないかなあ」
「左様でございますねえ」
二人は睨めくらをする。
「貴様の面《つら》も変らねえ」
「殿様もこのごろはおいとしゅうございます」
「はははは」
睨めっこをして淋しく笑う。なるほど、これでは酒もうまくなさそうです。
「女を呼んで、一騒ぎ騒がせましょうか」
「それもこのごろでは張合いがないわい、甲府の女どもにまで懐都合《ふところつごう》を見透《みす》かされるような強《こわ》もてで、騒いでみたところがはじまらない、やっぱり貴様の面《かお》を見ながら飲んでいる方がよい」
「いよいよ以ておいとしゅうございます、春や昔というところでございますねえ、笠鉾《かさほこ》の下でお文《ふみ》を読んでおいでなさる覆面のお姿が眼にちらついてなりませんよ。大門口《おおもんぐち》の播磨屋《はりまや》で、二合の酒にあぶたま[#「あぶたま」に傍点]で飯を食って、勘定が百五十文、そいつがまた俺には忘れられねえ味合だ」
「権六、どう考えてみても、どのみち金だな、金が欲しいな」
「それに違いございません、色と金、二つにわけて申しますが金があっての色でございますよ、金さえありゃあ……」
「金が欲しいな」
「金さえ
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