んない》から東の方へ出ようということになりました。隣り隣りというてもなかなか遠い、山の間《あい》や谷の中から娘たちがゾロゾロと集まって、お徳の家へ詰めて来ながらの話、
「わたしが思うのには、お徳さんは今度は出かけられないかも知れませんわ、もしお徳さんが出かけられなければ、組の頭《かしら》はお浪さんになってもらわなければならないでしょう、まあお徳さんの了見《りょうけん》を聞いてみてからのこと」
「お徳さんは、あのお武家《さむらい》さんをどうなさるつもりでしょう。あのお武家さんはお眼が悪い上に、お身体も本当ではないのを、お徳さんが引受けてお世話をなさると言っておいでだが、お徳さんはお世話好きだからよいけれども、もしあのお武家が悪い人であったらどうでしょうね」
「お徳さんは、きっとあのお武家を好いているのですよ、ついこの間の晩も、庭でもって歌をうたって聞かせていましたよ、それに蔵太郎さんもあのお武家に懐《なつ》いているから、まるで夫婦と親子のように見えました」
「ほんとに、お徳さんは好いているならば、あのお武家と一緒になったらどうでしょう、お武家さんの方でもいやでなければ、みんなで取持ってお徳さんに入夫《にゅうふ》をさせたらどうでしょう」
「わたしもそう思っていましたけれど、お徳さんが今までよく立て通して来たものを、こちらからそんなことを言うのはおかしいし、それにあのお武家はお眼の不自由な人、あれでは始終お徳さんの面倒《めんどう》を見ることもできますまいし」
「たとえお眼が不自由でも、お徳さんが好いたと言い、お武家さんの方でもその気ならば出来ない縁ではありません。ねえ、皆さん、男一人を立て過ごせないような女では詰《つま》りませんね」
「働き者のお徳さんのことですもの、あれで立派に通して行かれますよ、誰かお徳さんの了簡《りょうけん》を聞いてみてごらん」
「そんなことが聞かれるものかね、お徳さんはそんな了簡で、あのお武家のお世話をしてるのではありません、ああしてお身体が少し好くなったら、直ぐにみんなして送り返すつもりでいるではありませんか」
「それはそうだけれども、この前のお方もそうして出来た縁、今度もひょっとすると、不思議な縁にならないとも限りませんからね」
「前のお方がああいうお方でありましたからお徳さんの入夫はむずかしいと思うていたところ、ちょうどまたああいうお武家が来て、やっぱり縁というものですね、せめてお目でも悪くなければお取持ちをして上げたい」
「お目が悪いからかえって縁がよいのでしょう、満足なお武家さんがどうしてこんな山家《やまが》へ入夫に来るものですか」
「それにわたしは、あのお武家はお目が悪いばかりではなく、何か悪いことをして来たお方ではないかと思いますよ」
「どうして」
「どうもなんだか気の置けるようで……もし人殺しなどをして来た人であったら」
「それはなんとも言えませぬ、もしそうであったからとて、お徳さんが承知であれば仕方がないではないか」
「でも、もし悪いことをして来た人で、お役人に尋ね出されるようなことになると、お徳さんや蔵太郎さんにまで、縄目《なわめ》がかかるようなことになりはしないか知ら」
「その時は、お徳さんばかりではない、あのとき峠を通ったものはみんな同罪、お前とわたしも逃れることはできませんね」
「どうなるものですか、やくざ男に欺《だま》されるのは山の娘の名折れだけれど、世間に憚《はばか》る人を助けるのは山の娘の気負《きお》いだとさ。なんにしてもお徳さんの心の中を聞いてみて、それからのことにしましょうよ」
「それがようござんすよ」

 山の娘たちは隊をなして、また他国へ出かけていったが、果してお徳だけは残ってしまいました。お徳は後に残ったのみでなく、それから直ぐに竜之助を案内し、蔵太郎をつれて、篠井山の麓から奈良田の温泉へ行ってしまいました。
 それは盲目の竜之助を馬に乗せて、お徳は蔵太郎を背に負って、篠井からまだ十里も山奥になっている奈良田へ行く間に、お徳はいろいろとその土地の物語をしました。
「昔、奈良の帝様《みかどさま》がおうつりになったところで、それから奈良田と申します、今でもその帝様の内裏《だいり》の跡が残っているのでございます」
「奈良の帝? 左様なお方がこんなところへおいでになる由《よし》もなかろうに」
「それでも昔からそのように申し伝えられてあるのでござんす、おいでになってごらんになればわかりますが、山と山とで囲まれた村の真中に二丁ほどの平らなところがあって、そこに帝様のお宮のあとが今でも神様に祀《まつ》ってあるのでござんす」
「帝様と申し上げるのは日の下を知ろし召すという方じゃ、その方がなんで斯様《かよう》なところへおいでなさるはずがない、大方その帝様のお社《やしろ》をそこへお移し申
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