れというもみんな其方が強情を張るからじゃ、僅か三千両の金、金が惜しいか女房が可愛いか」
「御無理でございます、御無理でございます」
「はははは、では女房が御城内へ引っ立てられ、親たちが縄付《なわつき》になっても、三千両の金は出せないと申すか」
「三千両などと申す大金が……」
「黙れ黙れ、先祖以来、公儀の眼を掠《かす》めて貯えた金銀が唸《うな》るほどあるくせに、三千両は九牛《きゅうぎゅう》の一毛《いちもう》。のう御同役、遠いところへ隠してあるならば、なにも古金の耳を揃えなくても、今時《いまどき》通用する吹替物《ふきかえもの》でも苦しゅうはござらぬてな」
「いかさま、三千両の数さえ不足がなければ、板金《はんきん》であろうと重金《じゅうきん》であろうと、そこは我々が上役へよしなに取計らう」
 同役二人が面を見合せるところへ、
「もしお役人様、ただいま、あなた様方にお目にかかりたいと、一人のお武家《さむらい》がこれへお見えになりました。お名前は水戸の山崎譲と申せばおわかりになると申しますのでございます」
 宿の主人が怖る怖る、遠くの方から平身低頭しての取次であります。

 折助には渡り者が多い。もとは相当の素性《すじょう》であっても、渡って歩くうちに、すっかり折助根性《おりすけこんじょう》というものになってしまいます。
 折助の上には役割《やくわり》、小頭《こがしら》、部屋頭《へやがしら》というようなものがあって、それは折助の出入りを司《つかさど》り、兼ねてその博奕《ばくち》のテラと折助の頭を刎《は》ねるが、これらは多少、親分肌の気合を持っている。渡り者の折助に至って、はじめて折助根性がよく現われるのです。
 彼等の仕事は、カッパ笊《ざる》を担ぐことと博奕をすることぐらいのもので、給金はたいてい二貫四百、一年中のお仕着せが紺木綿《こんもめん》の袷《あわせ》一枚と紺単衣《こんひとえ》一枚。とてもそれではうまい酒が飲めないから博奕をする、博奕をするのは性質《たち》のよい方で、性質の悪いのになると人の秘密をさぐり、それを種にうまい汁を吸おうとする。
 折助に向って、これは内密《ないしょ》だがねと言って話をすれば、得たり賢しとそれを吹聴《ふいちょう》する。また人の内密、ことに情事関係などを探るにはぜひとも折助でなければならない働きがあるので、旗本の用人などが、これを利用してお妾《め
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