したのでもあろう」
「そうではござんせぬ、奈良の帝様が、たしかにその地へお移りになったということでござんす、その帝様は女のお方様で……」
「女の帝……奈良朝で女の帝に在《おわ》すのは」
 竜之助は自分の持っている国史の知識を頭の中から繰り出して、お徳の語るところと合せてみようとして、
「奈良《なら》七重《ななえ》……奈良朝は七代の御代《みよ》ということだが、そのなかで女の帝様は……」
 竜之助の思い浮ぶ知識はこれだけのもので、その七代のうちにどのお方が女帝におわしまし、その御名《ぎょめい》をなんと申し上げたかというところまでは届かないのです。
「その帝様《みかどさま》が、これへお越しになりまして、この土地は山国で塩というものがござんせぬ故、帝様は天にお祈りなされると、地から塩が湧いて出て、今も塩《しお》の井《い》というのがその土地にあるのでござんす。それから片葉《かたは》の蘆《あし》というのがござんす、帝様がこの土地へおいでになってから、旦暮《あけくれ》都の空のみをながめて物を思うておいであそばした故、お宮のあたりの蘆の葉がみんな片葉になって西の方へ向いていたということでござんす」
 身延《みのぶ》と七面山《しちめんざん》の間の裏山を越えて薬袋《みなえ》というところへ出た時分に、お徳は右手の方を指しながら、
「あちらから来る道が、富士川岸を伝うてやはり奈良田の方へ通うのでござんす、帝様へ諸国から貢物《みつぎもの》を献上なさる時は、いつもこの道を通ったとやらで、その帝様が奈良田でお崩《かく》れになりました時、それと聞いて土地の人が、その貢物を横取りしてしまって俄《にわ》かに富んだから、その村を飯富《いいとみ》村といって、あちらにはまた御勅使がお通りになった御勅使川《みてしがわ》というのがござんす」
 お徳は、やはり奈良の帝がこの土地へおうつりになったという伝説をそのままに受入れているらしいが、竜之助は、ただ伝説として聞いておくだけに過ぎません。
「お宮のあるところから十里四方は、いつの世までも年貢お免《ゆる》しのところ、権現様《ごんげんさま》も湯の島へ御入湯の時に御会釈《ごえしゃく》でござんした。たとえ罪人でもあの土地へ隠れておれば、お上《かみ》も知って知らぬふりをなさんすとやら」
 お徳は伝説をようやくに事実の方へ近づけてきます。
 奈良田の皇居ということは国史以外
前へ 次へ
全50ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング