の秘説であります。
奈良王この地に御遷座ありしという伝説は、ここにお徳の口から伝えらるるばかりではなく、幾多の古書にも誌《しる》されてあるので、その奈良王とは弓削道鏡《ゆげのどうきょう》のことであるとの一説、ただに奈良の帝と伝えられている一説、また明らさまに人皇《にんのう》第四十六代|孝謙《こうけん》天皇と申し上げてある書物もあるのであります。
孝謙天皇は女帝におわします。弓削道鏡の悪逆、和気清麻呂《わけのきよまろ》の忠節などはその時代の出来事でありました。
けれども、天皇がこの地に御遷座ありしというようなことは、正史のいずれにも見らるるところではなく、ただこの地の伝説だけに残っているのであります。
村の中程に皇居の跡があるということ、塩の井、片葉の蘆、飯富村、御勅使川、十里四方万世無税、家康湯の島へ入湯のこと、みんなそれに附きまとうた伝説でもあり事実でもあるが、なおそのほかに、帝にお附の女房たちが、散々《ちりぢり》になって、このあたりの村々で亡くなった、それを神に祭って「后《きさき》の宮《みや》」と崇《あが》めてあること、帝が崩御《ほうぎょ》あそばした時、神となって飛ばせ給うところの山を「天子《てんし》ヶ岳《たけ》」と呼び奉ること、そんなこんな伝説がいくつも存在しているこの山の奥、人を隠すにも隠れるにもよいところ、ことにその地には百二十度の温泉がある――お徳の温い心、いつも冷たくなっている竜之助の心を、そこで温かにしてやろうという世話ぶり、その世話ぶりがいつまで続くか。竜之助が温かい人になることができないまでも、お徳のような温良な山の女を冷たい人にはしたくないものです。
湯の島へ着いて、ゆっくりと温泉に浸った机竜之助。
「ああ、いい気持だ」
木理《もくめ》の曝《ざ》れた湯槽《ゆぶね》の桁《けた》を枕にして、外を見ることのできない眼は、やっぱり内の方へ向いて、すぎこし方《かた》が思われる。
「三輪明神の社家《しゃけ》植田丹後守の邸に厄介になっていた時分と、ここへ来て二三日|逗留《とうりゅう》している間とが、同じように心安い。どうも早や、おれも永らく身世《しんせい》漂浪《ひょうろう》の体じゃ、今まで何をして来たともわからぬ、これからどうなることともわからぬ。それでも世間はおれをまだ殺さぬわい、いろいろの人があっておれを敵にするが、またいろいろの人があってお
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