兵衛は細引をやめて煙草入れを取り、日記を書いている兵馬の方をちょいと覗《のぞ》き込みながら、
「大分、御精が出ますね」
「日記は、忙《せわ》しくともその日に書いておかねば、あとを怠る故」
「感心なことでございます。私共なんぞも若い時に、もう少し勉強をしておけば、もう少しよい人になったものでございましょうが、貧乏や何やかで、つい学問の方に精を出すことができませんで、今となっては後悔《こうかい》先に立たずでございます、若いうちに御勉強をなさらなくてはなりません」
 七兵衛は述懐《じゅっかい》めいたことを言う。
「おやおや、絵図をお書きになりましたね。なるほど、甲州入りの絵図でございますね。よくこんなに細かにお書きなすったものでございますね。私なんぞはこの甲州を通ることが幾度あるか知れませんが、まだ絵図面を取ってみようというような考えを起したこともございませんのに、さすがにあなた様は」
 七兵衛は兵馬が書いた甲州図を見て、
「なるほど、こちらの方が西川内領《にしかわうちりょう》、ここが万沢《まんざわ》でございますな。こちらが東川内領で十島《とおじま》。なるほど、この富士川を上ってここが福士、それから身延鰍沢《みのぶかじかざわ》、信州境から郡内《ぐんない》、萩原入《はぎわらいり》から秩父《ちちぶ》の方まで、よく出ておりますな。中へ入れば、これでずいぶん広いところもありますけれど、こうして見れば本当に甲州は山ばかりでございますな」
「いや、これはほんの見取図で、まだこれへ書き入れないほかの山や川や村がいくらもあるでしょう」
「そう言われるとそうでございますね。信州|佐久《さく》の方へ出るところに、まだこのほかに一筋の路がございますよ。相州口にも、まだちょっとした間道《ぬけみち》がございますがな、それは処の案内者でないとわかりませんでございますよ。なるほど、この福士から富士川を上って徳間へかかって、駿河国《するがのくに》庵原郡《いおはらごおり》へ出る道は記してございますな。明日はこの道をひとつ、行ってみようというんでございますな」
「七兵衛どの」
 兵馬はようやく筆を休めて、
「さてどうも長の旅路を、いろいろとお世話にあずかってかたじけない、なんともお礼の申し様《よう》もござらぬが、そなたの仕事の障《さわ》りにはなりませぬか。こうしてお世話になることは、拙者にとってはこの上もな
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