「今晩はこの福士へ泊って、土地の人によく地の理を聞いてみましょう。地の理を聞いてから、この川上へ行って見ると、思いにつけぬ獲物《えもの》があるかも知れませんよ。なんでもこの川沿いに、駿河へ出る路が別にあるに相違ありませんですね。そうなれば、もうこっちのものでございますよ」
 七兵衛はなお川上を見る。兵馬はその腕をよく見ている。
「この腕がここへ流れつくまでには、かなりの時がたったであろう……斬って逃げたか、斬られて逃げたか」
「眼があんなでなけりゃあ、腕だけで逃す斬手ではございませんがね。またこっちの奴にしたところで、片一方斬られて、それなりで往生する奴でもございません。ところであのお絹という女、あの女がどっちへついて逃げたか、それは考え物ですね。この腕はこうして置くもかわいそうだから、砂の中へ埋めておいてやりましょう。まあ、あの野郎も、この腕一本のおかげで命拾いをしたと思えば間違いはござんすまい、この腕はあの野郎にとっては命の親でございますから、そのつもりでお葬《とむら》いをしてやりましょう」
 七兵衛は棒の先で砂場へ穴を掘って、足の先で腕を蹴込《けこ》んで、砂をかぶせて、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》をいう。

         四

 福士の宿屋へ泊った七兵衛と兵馬。
 七兵衛は行燈《あんどん》の下で麻を扱《しご》いて、それを足の指の間へ挿《はさ》んで小器用に細引《ほそびき》を拵《こしら》えながら、
「ねえ、宇津木様、知らぬ山道を歩くには、この細引というやつがいちばん重宝《ちょうほう》なものですよ、こいつを持って歩いてると、まさかの時にこれが命の綱となるのでございます」
 兵馬は旅日記を書いていましたが、
「なかなか、器用に撚《よ》れますな」
「へえ、子供の時から慣れておりますからな。子供の時分に、こうして凧糸《たこいと》を拵えたものでございますよ」
 七兵衛は見ているまに二間三間と綯《な》ってゆく。
「長い道中をする者は、これと火打道具だけは忘れてはなりません。あなた様なんぞは煙草をお喫《の》みなさりはしますまいが、それでも火打道具だけはお忘れなすってはいけませんでございます」
「それは忘れはしない」
「私共のように煙草を喫みますと、火打道具は忘れろと言っても忘れることじゃござんせん。おやおや、そんなことを言ってる間に、煙草が喫みたくなって参りました」
 七
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