と浸《つ》いた板橋を渡りながら、
「この川は富士川の支流《わかれ》か知らん」
「富士川の支流ではござんすまい、駿河境の方から出て富士川へ流れ込むのでございましょう。これだけの流れでございますが、雨上りにはかえってこんなのが厄介で……」
と言いさして、板橋を半ばまで渡り来《きた》った七兵衛、そこで立ち止って、流れの少し上手《かみて》の方をじっと見る。
「宇津木様、少しお待ちなすって下さいまし」
 七兵衛は、先へ行く兵馬を呼び止めて、自分はやっぱり川の少し上手の方を見ています。
「どうしました」
「どうも何だか、あすこに変なものが、あの石と石との間に挟まっておりますな」
「おお、何か白いものが……」
 夕暮れのことであり、少し離れているところでしたから確《しか》とは見定め難いけれど、
「どうやら、人間の腕のように見えますが、あなた様のお眼では……」
「左様、わしが眼にもどうやら……」
「向うへ廻ってよく調べてみましょう」
 一旦、板橋を渡りきって七兵衛は、岩の間を飛び越えてそこへ行って見る。
「宇津木様、この辺でございましたな」
「そこへ真直ぐに手を伸ばせば……」
「それではこの棒で突き出してみますから、そちらで受けて下さいまし」
 岩の間に淀《よど》みもせず流れもせず、ふわりとしていたものを七兵衛が上から棒で突き流すと、兵馬の足許へ流れて寄ったのは、
「おお、たしかに人の片腕」
「なるほど、人の片腕に違いございませんな」
 七兵衛はその片腕を棒の先で砂洲《さす》の上へ掻《か》き上げて、腕を一見すると、意味ありげな笑い方。
「こんなことだろうと思った」
 兵馬にはその意味がよく呑込めないでいると、
「宇津木様、図星《ずぼし》でございますよ」
「図星とは?」
「この通り、御覧下さい、この腕に二筋の入墨がございます、これがさいぜんお話し申し上げた、甲州入墨でございます」
「なるほど」
「どうか、スパリとこの腕をやった切口をよく御覧なすって下さいまし、斬手がどのぐらいの奴だか、それをよく御覧なすって下さいまし」
「ははあ」
 兵馬は篤《とく》とその切口を見る、手は右の二の腕から一刀に。
「よく切ってある」
「さあ、斬った奴は生きてるか、斬られた奴は死んでしまったか、これからがその詮議《せんぎ》でございますよ。どのみち、この川上の仕事に相違ございません」
「尤《もっと》もだ」

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