逃げないうちに、もう一度探してみろ」
 米友は米友で押えておいて、またがんりき[#「がんりき」に傍点]を探しにかかる。いつまでまごまごしているものではない、がんりき[#「がんりき」に傍点]の姿はどこを尋ねても見えるものではありませんでした。
「とにかく、そいつを引括《ひっくく》れ」
 役人は米友を縄《なわ》にかけようとする。
「おや、俺《おい》らを縛るのかい、なんで俺らを縛るんだ」
 引き出される時は尋常に引き出されて来た、ともかくも、黙って縁の下へ寝たのは悪い、悪いところはあやまった方がよかろうと思うから、尋常に引張り出されて来たのであるが、言いわけも聞かないで縄にかけるというのはいかにも了簡《りょうけん》がなり兼ねる、それはひどい、無理だ、と思ったから米友はムキになりました。
「なんで俺らに縄をかけるんだか、それを言ってもらいてえ」
「貴様はこの下で何をしていた」
「ここで寝ていたんだ」
「嘘《うそ》を言え、もう一人の仲間はどうした、白状しろ」
「仲間? 仲間がどうしたんだ、俺らは一人きりなんだ、一人で旅をして来てここへ寝たんだ、仲間なんぞはありやしねえ」
「嘘を言うな、太い奴だ」
 警衛の役人が米友の横面《よこつら》をピシャリと一つ撲《なぐ》りました。
「おや、撲ったな」
 さあ米友が承知しない、両の腕に力を籠《こ》めてうんと振りもぎると、押さえていた二三人がよろよろとよろけて手を放す。
「ナゼ俺《おい》らを打《ぶ》った!」
 米友はそこいらにいるのを二三人まとめて抛《ほう》り投げてしまって、お堂の欄干の上へ飛び上りました。
「それ荒《あば》れ出した、怪我をするな」
 六尺棒だとか、刺棒《さすぼう》、突叉《つくまた》なんという飾り道具を持ち出して、米友を押えようという騒ぎになってしまいました。
「どうして俺らはこんなに人に間違えられるんだ、悪いことをしねえのに悪者にしてしまやがる、ほんとに口惜《くや》しいなあ」
 ほんとに口惜しい、米友は無邪気で痛烈な歯噛《はが》みをする、米友の身にとればほんとに口惜しいに違いないのです。
「仕方がねえから逃げちまえ」
 逃げちまえといっても、下へは逃げられない、本堂は人がいっぱい。
「和尚様」
 米友は素早《すばや》く人の中を潜《くぐ》り抜け、人の頭を飛び越すようにして遊行上人の膝のところへ来てかじりつきました。
「和尚様、助けておくんなさい」
 この一場の騒ぎで席が乱れても遊行上人は、もとの座に坐っていましたが、
「どうしたのだ、お前は」
「どうしたって和尚様、ほんとに口惜しくってたまらねえや、人を見ると悪者にばかりしてしまやがる。和尚様、お前は出家だから人助けをしてくれるだろう、俺らが悪者か悪者でないか、お前の眼で見たらわかりそうなものだ」
 米友は遊行上人に噛《かじ》りついてこう言ってしまいました。
「わかるわかる、お前は悪者ではない」
「そうだろう、それ見ろ」
 米友は遊行上人を唯一の味方に取った気でいる。
「まあまあ静まってくれ、この男は決して悪者ではないから勘弁《かんべん》してやってくれ」
 遊行上人が手を挙げてなだめると、それでまた騒ぎが静まってしまいました。
「それ見ろ、この坊さんが知ってらあ、見る人が見りゃあ、ちゃあんとわかるんだ、お前たちは盲目《めくら》だ、この坊さんはなかなかえらい」
「お前はどこから来たのじゃ」
「伊勢の国から来て、江戸の下谷の長者町の道庵先生というところまで行くんだが、たびたびこんな目に会ってぶん[#「ぶん」に傍点]撲《なぐ》られたりふん[#「ふん」に傍点]縛《じば》られたりしたんじゃあ、ほんとにやりきれねえ。それに和尚様、おらあ、この通り片足が悪いんですからね。この片足でお前様、東海道を江戸まで、ひょこひょこ歩いて行こうというんですからね。不具者《かたわもの》だから世間が不憫《ふびん》をかけてくれてもいいんだろう、それをお前、あっちでも粗末にしたり、こっちでもぶん[#「ぶん」に傍点]撲ったり、俺らの身にもなってみねえな、ずいぶん辛いよ」
 聞いている者は、無邪気な米友の憤慨を聞いて吹き出したうちにも、なんとなく眼に涙を持ってきて、なるほどこれは悪人ではないという気になりました。
 遊行上人も米友の言いぶりを聞いて微笑しました。

         五

 いつか天竜を渡って秋葉山道《あきばさんみち》の淋しい辻堂の中。
「昨夜《ゆうべ》くれえドジを踏んだことは無《ね》え、めざして来た乗物を天竜寺へ追い込んで、こいつは鴨が葱《ねぎ》を背負って来たようなものだと思ったら、なあーんのこと、向うの方が上手《うわて》で、天竜寺へ参詣と見せて籠抜《かごぬ》けだ、それにあの坊さんに腹ん中まで見透かされて、命からがら逃げ出して来たなんぞは、近来に無え図の失敗《しくじり》だ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が愚痴《ぐち》をこぼすと七兵衛が笑いながら、
「俺もおかしいと思ったよ、裏で、いま合図があるか、いま合図があるかと待っていたが、いつまでたっても音沙汰が無え、そのうちに泥棒! という騒ぎになったから、こいつ失敗《しくじ》ったなと思って逃げ出したが、自分ながらばかばかしい」
「兄貴の前へも面目が無え。それにしても、あの遊行上人という坊主は只者《ただもの》じゃねえな」
「そりゃあそうさ。いったい、遊行上人に食ってかかろうというお前の了簡方《りょうけんかた》がわからねえ、ほかに仕事がねえじゃあるめえし」
「それにゃ兄貴、仔細《わけ》があるんだ、あの坊さんに意趣も遺恨もあるわけじゃあねえが、頼まれたことが一つあるんだ、それは名前は言わねえが、ほかの宗旨の奴から頼まれたというのは、これがんりき[#「がんりき」に傍点]、貴様も忍びと盗人《ぬすっと》にかけちゃかなりの腕だそうだが、どうだ一番、遊行上人のものを盗んでみろと、こういうのだ」
「なるほど」
「遊行上人であろうとも、弘法大師であろうとも、盗もうと思ったらきっと盗むと、まあこんなふうに啖呵《たんか》を切ってみたものよ」
「なるほど」
「ところがその頼んだ奴の言うことには、がんりき[#「がんりき」に傍点]、そう易く言うが、この相手はちいーと違うぞ、なんしろそれ、仏眼《ぶつがん》とやら神通力《じんずうりき》とやらで、人の心をちゃあんと見抜いてしまう坊さんだから、いくらお前が忍びや盗人が上手でも、うっかり傍へも寄れめえとこう言うんだ」
「なるほど」
「そう言われるとこっちも癪《しゃく》だあな、よし、向うが仏眼なら、こっちもがんりき[#「がんりき」に傍点]だ、一番その遊行上人とやらを遣付《やっつ》けましょうと、こう両肌《もろはだ》を脱いじまった」
「なるほど」
「よし、お前がその意地なら腕に撚《よ》りをかけてやってみろ、幸い、あの遊行上人は、天竺《てんじく》から来たという黄金《きん》の曼陀羅《まんだら》の香盒《こうごう》というものを持っている、それをしじゅう懐中《ふところ》へ入れているからそれを盗んでみろと、こう言うのだ」
「なるほど」
「ようがす、その香盒とやらの形はどんなものだと聞くと、直径《さしわたし》三寸ぐらいの丸い小《ちっ》ぽけなもので、黄金《きん》で出来ていて、曼陀羅とかお題目とか、むずかしいものが彫ってあるんだそうだ」
「なるほど」
「そこでまあ意地と二人で、よしと請合《うけあ》って来てみるとあの始末だ。なあに、これは仕掛《しかけ》があって、誰か上人の方へ筒抜けをする機関《からくり》だとこう思ったから、小手調べに二つ三つ手近なやつを引ん抜いてみたら驚くじゃねえか、ちゃあんとあの上人が見抜いてしまやがった。あの人混みの中で、どうしてまあこっちの業《わざ》がわかるんだか、実際あの坊主の眼力《がんりき》には、このがんりき[#「がんりき」に傍点]も降参したよ」
「なるほど」
「けれどもこのままじゃ引込めねえ、あの上人も、こちとらを出し抜いた乗物も、みんなあと先になって東へ下るんだ、仕事はまだこれからよ。兄貴、お前もここで外《はず》すのは惜しかろう、盗人冥利《ぬすっとみょうり》だ、行くところまで行きねえな」
「いいとも」

 この日、遊行上人もまた天竜寺を出でて東へ下りました。
 一行六人、それに米友を加えて七人の旅でありました。
 この一行のために船賃も橋賃も御免でありました。わざわざ出て来て拝む者もありました。宿《しゅく》へ着くと羽織袴の人が迎えに来て、紫の幕が張ってある本陣へ案内するのでありました。
 それがために米友の旅は非常に楽なものでした。一文も自腹《じばら》を切らずに、到るところ大切《だいじ》にされて通ります。
 駿河《するが》の府中まで来ると遊行上人の一行は、世の常の托鉢僧《たくはつそう》のような具合にして、伝馬町の万屋《よろずや》というのへ草鞋《わらじ》を脱いでしまいます。
 今宵《こよい》は紫の幕もなければ領主からの待遇も避けて、ただあたりまえの旅客として泊り合っただけです。
 風呂にも入り、夕飯も済んで、挟箱担《はさみばこかつ》ぎはどこへか用足しに行ってしまい、米友はまだ寝るには早いから坐っていると、長押《なげし》に槍がかけてあります。
「槍、ヘヘン、槍がありやがる」
 米友は槍を見てニコニコ笑い。
「久しぶりだから、ひとつ使ってみてやろうかな」
 部屋の隅にあった碁盤と将棋盤を持って来て、それでやっと取り下ろしたのが九尺柄の素槍《すやり》。

 ちょうどこの日に、机竜之助もまたこの宿に泊っていたのであります。
 竜之助がひとりで酒を飲んでいるところへ、お絹が風呂から上って来ました。
「またいやな奴がついて来ましたよ」
「誰が?」
「浜松の大米屋でお前さんを覘《ねら》ったという奴」
「うむ、あれか」
「あれがまたこの宿へ入り込みましたよ、執念深《しゅうねんぶか》いやつらったら」
「放《ほう》っておけ、今夜来たらば……」
 竜之助がグッと一口飲む、燈《ともしび》の光で青白い面《かお》が熱《ほて》る、今夜来たらば……叩き切ってしまうというものと見えます。
「まあ、およしなさい、道中は無事に限りますから、またひとつ裏を掻《か》いて、出し抜いてやりましょう」
 お絹は竜之助の面を見て笑う。こうして見れば、二人は夫婦気取りで旅をしているようです。
 お絹が竜之助をたよるのか、竜之助がお絹をたよるのか。お絹は浜松へ引込んでしまおうかと思ったのを、ふと、竜之助が来たので、また一緒に江戸へ出ることになったらしい。竜之助もまたお絹によって、難儀なるべき道中をともかくも心安く江戸へ下ることができるというものらしい。

 机竜之助のいたところと、遊行上人の泊っていた一間とは襖《ふすま》一重の隔たりでありました。
 眠れないでいた竜之助には、その夜更けて、不夜《ふや》の念仏をしていた上人の許《もと》へ忍び寄った二人の盗賊《ぬすっと》と、それに驚かなかった上人の問答をよく聞くことができました。
 初めはこう思っていました――これは自分のところへ来るつもりの盗賊が、間違って隣りへ来て僧侶を驚かしたものらしいと。
 ところが問答を聞いていると、盗賊は別にこの僧侶に望みをかけて来たものらしいのであります。
 事起らばと、竜之助は枕許の刀を取って待っていたが、何事も起らずに、盗賊共は帰ってしまって、僧侶があとで人を呼んで騒ぎでもするかと思えば、そんな様子は更にありませんでした。
 こんなふうにして、駿河の府中から出た竜之助とお絹の駕籠、それをまた後になり先になって跟《つ》けて行くがんりき[#「がんりき」に傍点]と七兵衛。
 本道を行かずに久能山《くのうざん》へ廻って、一の鳥居に近いところで駕籠を卸すのを見定めた七兵衛が、がんりき[#「がんりき」に傍点]へ耳打ちをしました。

 久能山の鳥居の前で、
「もしもし、そこへおいでになる奥様」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が呼びかけたので振向いたお絹、
「どなた」
「へえ、お初にお目にかかります、私でございます、あなた様のよく御存じの七兵衛の友達でございます」
 
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