「その切下げ髪の奥様というのはどこへ行ったの」
「それはどこへ行ったか」
 米友が四辺《あたり》を見廻す時、四辺はようやく黄昏《たそが》れる。
「やあ、日が暮れるといけねえ、歩き出そう、歩き話とやらかそう」
 米友は黄昏の色を見て、槍を取りながら立ち上る。お君もまた三味線を取って立ち上る。ムクもまた起き上って腰を伸ばす。
「おや、友さん、怪我をしたの、足をどうかしたの」
「足? これか、これは跛足《びっこ》だ、ハハハ」
 米友は、笑いながら腰のあたりを撫《な》でて、
「隠ヶ岡から突き落された時、ほかの方はもとの通りになったけれど、右の足の骨だけが折れてしまったから、それでこの通り跛足を引いて歩くようになった、なあに、痛くもなんともねえ、慣れてしまったから歩くのも楽なものさ、もとは撞木杖《しゅもくづえ》を突いて歩いていたんだが、この槍を貰ってから、撞木杖をよしてこれを突いて調子を取って歩くと、並みの人よりは早く歩けるくれえだ」
と言いながら米友は、松の木の下を離れて、そこらを探し廻り、裂けて落ち散っていた槍の鞘《さや》を拾って、これを穂の上へかぶせ、紙撚《こより》をこしらえて裂目《さけ
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