ムク」
 その時、また同じく三保の松原の方から風を切って飛んで来る旅人。その旅人を見ると、ムクが一声吠えて飛びかかります。
「これ、どうしたんだね、人様に飛びかかって」
 お君は身を以てムクの前に立ち塞がる。その隙《すき》を見て旅人は、燕のように急速力で駈け抜けてしまう。これはすなわち七兵衛。
 ムクの力として、お君の抑《おさ》えた手を振り切るのは雑作《ぞうさ》はあるまいが、それでも抑えられた手が主人の手と思ってか、身振《みぶる》いをしつつ七兵衛の駈けて行ったあとを睨んで立っていました。
「なんでお前は、そんなに見ず知らずの人を吠えるのです、今までそんなことはなかったじゃありませんか」
 ムクを促《うなが》して立とうとすると、
「三保の松原で大喧嘩《おおげんか》がある、早く行って見ろ」
 街道で物騒《ものさわ》がしい声。
 喧嘩喧嘩、という人波と一緒に、お君はムクに引かれて三保の松原へと来てしまいました。
「ムクや、危ないから、あまり近くへ行ってはいけないよ」
 そう言いながらも、お君は逸《はや》るムク犬に連れられて人混みの中へ行く。

         八

 ムクが逸るから、それに
前へ 次へ
全117ページ中79ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング