いへん遅くなってしまいました」
お絹の髪も衣裳もかなり崩れている、それを程よくつくろって来たものらしい。
「心配していました」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、お絹の手を取って、やはり囲炉裡《いろり》の一端に坐らせる。
「ひどい目に遭《あ》ってしまいました、あの宇津木兵馬という若い人のために取押えられて虜《とりこ》になるところでしたが、折よく変な男が出て来て助けてくれましたから、やっとこっちへ逃げて来ました」
「村はずれまで迎えの者を出しておきましたはずでしたが」
「その人に、そこまで連れられて来ました。ああ、飛んでもない目に遇ってしまった」
お絹は炉の傍に坐りかけてこの内の模様を見ると、荒れ果てた古寺。
「お寺ですね」
「こんなところでございますが、今晩はここで御辛抱《ごしんぼう》なすって下さいまし」
「お寺とは知らなかった」
「こんなわけでございますから」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は何かと言いわけをする。
「ここへ泊めてもらうのですか」
「へえ、ただいま夜具《やぐ》蒲団《ふとん》を里まで借りにやりましたから」
「ここへ三人で……」
お絹は、なんとなく呆《あき》れたような面色《かおいろ》です。
「いいえ、わっしだけは御免を蒙って……ついこの近所に泊るところがございますから」
「それでは、この方とわたしと二人でこのお寺の中へ……」
「左様でございます、御災難とは申しながら、お気の毒でございます、その代り明朝になりますれば、早速わっしが出向いて参りまして……」
「どうも、こんなところへ泊りつけないから気味が悪いね」
「今夜一晩だけの御辛抱でございます、明日からわっしが御案内を致しまして、やつらを出し抜いて、危なげのない道筋をお連れ申しますから、どうか御安心下さいまし」
「お前さんのためにいろいろお世話になって災難を逃れたのだから、我儘《わがまま》を言っては済みません、それでは今晩はここへ泊めてもらうことに致しましょう」
「そうあそばして下さいまし」
この時、机竜之助は横になって炉辺に仮睡《うたたね》をしていました。
お絹は横になった竜之助の姿をしげしげと見ている。その横顔をがんりき[#「がんりき」に傍点]は盗むようにして見る。
「燈火《あかり》はないのですかねえ」
お絹は襟をすぼめるようにして、ちょいと後ろをふりかえる。
「お燈明皿《とうみ
前へ
次へ
全59ページ中51ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング