とであります。
 東男《あずまおとこ》に京女《きょうおんな》という諺《ことわざ》はいつごろから出来たものか知らないが、事実はこの時代にやはりそうであったものだそうであります。あの頑固《がんこ》な三河武士が、そんな大した通人に出来上ってしまったということが、やがて徳川の亡びた理由であると、賢《さか》しげに説いている人もありましたが、事実はやはりその通りであったかも知れません。
 音頭はいま一踊り済んだところで、上の欄間《らんま》から吊《つる》した五十幾つの提灯《ちょうちん》と、踊りの間《ま》いっぱいに立てられた燈《ともしび》とが満楼を火のように明るくしている中で、五人連れの若侍は陶然として酔って好い気持になっております。
「間の山節はまだ見えぬかな」
 中程にいた黒羽二重《くろはぶたえ》、色が白くて唇が紅くて、黒目がち、素肌《すはだ》を自慢にする若いのは、どこかで見たことのあるような侍ですが、間の山節を待ち兼ねて言葉に現われますと、これは芝居に出てくる万の[#「万の」に傍点]に似た仲居《なかい》の年増《としま》。
「はい、もうこれへ参りますはずでござりまする、どうぞ、もう一つお過ごしあそばされませ」
 名物の伊勢音頭を見たから、その次にこの五人連れの若い侍たちは、もう一つ名物の間の山節を聞こうというのでありました。それを承わった備前屋では、使を拝田村へ立てて、お玉を呼びにやったのであります。呼びにやった時からは、もう大分たっているから、来なければならないはずなのであります。
「遅いではないか」
「昼のうちは間の山へ稼《かせ》ぎに参りまして、家へ帰ってから、出直してお座敷のお客様へ出ますものでございますから、それで、その間《あわい》に、いくらか手間《てま》が取れるのでございますが、もう見えまする」
 間の山節の来る間を芸妓や仲居が取持っているのでありますが――お客様が待っているほどに取巻《とりまき》どもは気が進みません。それは間の山節なるものが、名こそ風流にも優美にも聞ゆれ、実は乞食歌に過ぎないというさげすみ[#「さげすみ」に傍点]と、何を言うにもお玉|風情《ふぜい》の大道乞食がという侮《あなど》りがあるからであります。それでもやはり間の山節というと、この楼でもお玉を招かねばならぬことになっているのでありました。
「お杉お玉も、昔からこの土地に幾代もございまして、今のお杉お玉はその幾代目に当りますことやら、わたくしどもでさえよく存じませぬが、お玉だけは、今までのお玉とお玉が違うのだそうでございますよ」
 万の[#「万の」に傍点]に似た仲居は、気が進まないながら、客の問いによって、お玉の来歴を少しばかりでも説いて聞かさねばならぬ義務があるのであります。
「声がよいのと、三味線が上手なのと、面《かお》が少しばかり見よいと申すのが評判でお玉は大当りでございますが、ナニあなた、殿様方の前でございますが、あれは女乞食の出来のよいので、こちらの音頭《おんど》の衆などの前へ出ましたら、月の前の星でございます、それでも名物となると、なんでもないことまでお客様のお気に召しますと見えまして……」
「いや左様ではあるまい、間の山節を昔ながらの調子で聞かすものは、古市《ふるいち》古けれども、今のあのお玉とやらのほかにはないということじゃ。それにお前がいう通り、声がよくて三味が上手で、面が好ければ申し分はないではないか。早くその名物が見たい、いや聞きたい」
「その、なんでございます、おっしゃる通り間の山節というのを昔の型で聞かすというのが、あの子の売り物でございます、それは、母親から正伝《しょうでん》を伝えられたと申すことでございますが、なに、それは傍《はた》で聞いていてほんとに陰気な歌なのでございます、三味の手にしましても数の知れたものでございます、誰も真似手《まねて》がないというので、わざと捻《ひね》ったお客様が買被《かいかぶ》りをなさるのでございます。あんな歌を真似てみようという茶気が、こちら衆の女子《おなご》の中にはないと申すのが、ほんとうなのでございます、手前共の音頭などは、お聞きに入れました通り、陽気なもの陽気なものと骨を折りまして、
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かざり車や、御車《みぐるま》や、御室《おむろ》あたりの夕暮に、花の顔《かんばせ》みるたのしみも……
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 歌でさえ、この通り花やかなものでございましょう。それにあなた、あの子の唄う間の山節の文句と言ったら、
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夕べあしたの鐘の声、寂滅為楽《じゃくめついらく》とひびけども……
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 こうなんでございます、まるでお経ではございませんか、合の手にはチーンとか、カーンとかお鉦《かね》を入れたくなるではございませんか」
「うむ、それそれ、その夕べあしたの鐘の声というのよ、それがほんものの間の山節ということじゃ。今は廃《すた》れたという話だから、せっかく来ても聞けるか聞けないかと、心配をしながら来てみたのじゃ。なるほど伊勢音頭も花やかでよい、花やかで面白いけれども、それ数奇者《すきもの》には得て癖がありがち、家に容貌《きりょう》なら品行《ひんこう》なら申し分のない女房を持ちながら、かえってその女房より容貌も位も十段も劣った女に溺《おぼ》れて、迷い込む者もあるものよ」
「左様におっしゃれば、そのようなものでござりましょう、殿様方もさだめて左様なお物好きでいらせられればこそ、お江戸の美しい花にもお見飽きあそばして、古市くんだりまでこうしてお調戯《からかい》にお下りあそばしまする、鯛《たい》も売れれば目刺《めざし》も売れる、それで世の中は持ったものでございますね、よくしたものでございますよ。なんに致しませ、間の山節とやらも一度お聞きあそばしますも旅のお話の種でござりましょう。もう参りそうなもの」
 この仲居、なかなか口が達者です。この時、程近いどこかの大楼でまた賑かな伊勢音頭の拍子《ひょうし》、
「ヨイヨイヨイヤサ」

         五

「今晩は、間の山の玉でございます、有難うございます」
 ムク犬を連れたお玉は、ちょうどこのとき備前屋の前に立って、片手で源氏車の暖簾《のれん》を分けて、楼の中へ首をさし入れたのでありました。
「あ、お玉さんかえ、お客様がお待ち兼ねですよ」
 奥へ沙汰をすると、例の万の[#「万の」に傍点]に似た仲居が出て来て、
「さあ、お玉さん、裏口へお廻りよ、いつもの通りあの石燈籠の蔭からね。中から木戸をあけて上げますよ」
「ハイ、有難うございます」
 万の[#「万の」に傍点]は差図《さしず》をするような言いぶりでありました。お玉は差図をされた通りに通り抜けて石燈籠の蔭から中庭の方へ参りますと、中からまた一人の仲居が木戸をあけてくれる。導かれて、入って行って見ると、前の五人づれの若侍の大一座。
「間の山のお玉が参りました」
 仲居の万の[#「万の」に傍点]が跪《かしこ》まると、一座の眼は庭先から導かれて来るお玉の方へと一度に向いてしまいます。
「今晩は、間の山の玉でございます、有難うございます」
 縁側の前で、お玉は正客の若侍の方と、取巻きの連中の方へと御挨拶を申し上げます。
「間の山のお玉か、待ち兼ねていた、さあこれへ」
 黒羽二重の若侍は、気軽に座敷へ呼び上げようとすると、お玉は遠慮をして縁より上へは頓《とみ》に上ろうとも致しません。取巻きの連中もまた、さあこれへ上れということを言いません。
「早う、お玉の席をこしらえてやるがよい、その毛氈《もうせん》を敷いて、見台《けんだい》が要《い》るならば見台を」
 お客の方から催促されても、お玉もそれきり上へあがろうともしなければ、取巻連中もまた客から言いつけられたように、席をこしらえてやろうとする気配《けはい》もなく、眼と眼を見合せておりますから、席がなんとなくテレて参ります。
「いいえ、こちらでよろしゅうございます、こちらの方がよろしゅうございます」
 お玉が辞退しますと、それを機会《しお》に万の[#「万の」に傍点]が、
「お玉さんの勝手なのだから、あそこへ敷物を敷いておやり」
「承知致しました」
 万の[#「万の」に傍点]より一段下の仲居は、もうちゃんと心得たもので、薄縁《うすべり》を二枚、押入から取り出して、クルクルと庭へ敷き並べ、その上へ、色のさめた毛氈を一枚、申しわけのように載せて、自分はサッサと座敷へ上って参ります。
「お玉さん、席が出来ました」
「有難うございます」
 お玉は大事そうに三味線を抱えて、草履を克明《こくめい》に脱ぎ並べて、その席へ身を載せて、上の方へお辞儀をして、袋をはずして中から三味線を取り出しにかかる模様が慣れたものであります。
 ここにおいて、先にお玉を座敷へ上げようとして席のテレかかったのを不思議に思った若侍たちは、
「ははあ、なるほど」
と感づきました。お客がお玉を聞くには、いつでもこうして聞くのである。楼でお玉を聞かせるには、いつでもこうして聞かせるのである。結局、お玉は縁より上へはあがれぬ身分か。
 お玉はおもむろに袋から三味線を取り出しました。黒ずんだ色をした三尺の棹《さお》、胴も皮もまた相当に古色を帯びた三味線であります。
 帯の間から撥《ばち》を取り出して音締《ねじめ》にかかる、ヒラヒラと撥を扱って音締をして調子を調べる手捌《てさば》きがまた慣れたものであります。
「撥捌《ばちさば》きがあれでまんざら[#「まんざら」に傍点]捨てたものではございません、ああして弾《ひ》き出してから、お客様が面《かお》をめあてにお鳥目《ちょうもく》を投げますると、あの撥で、その鳥目をはっしはっし[#「はっしはっし」に傍点]と受け止めながら、三味をくずさないのが、お杉お玉の売り物なのでございます」
 万の[#「万の」に傍点]は仔細《しさい》らしく講釈をしましたが、客はそんな講釈を耳に入れず、お玉の方ばかり見ていました。
「あの形《かた》がいいね」
 侍たちの間での囁《ささや》き。
「後ろにあるのは、太秦形《うずまさがた》の石燈籠、それを背中にして、あの通り三味を構えた形は、女乞食とは見えぬ、天人が抜け出したように見ゆる」
「ははあ、なるほど」
 先刻の黒羽二重のは、何かまた一人で感に入って膝を丁《ちょう》と打ちます。
「趣向だな、座敷へ上げないで庭で聞かすところが趣向だわい」
 独合点《ひとりがてん》をして納まります。通《つう》がってみたい人には往々、なんでもないことを何かであるように、我れと深入りをした解釈を下して納まる人があることであります。
 先刻、お玉が座敷へ通されないことを、身分が違う、つまり人交《ひとまじわ》りのできないさげすみ[#「さげすみ」に傍点]の悲しさで、そうした侮りの待遇を受けても、自分もそれで是非ないものと思っており、周囲もまたそれを侮りともさげすみ[#「さげすみ」に傍点]とも思っていないという麻痺《まひ》した習慣のせいだとばかり思っていた黒羽二重は、ここに至って、そうでない、わざと地下《じげ》へうつして、蓆《むしろ》の上から聞くことが、この歌の歌い手と、この節の風情に最もよくうつり[#「うつり」に傍点]合うものであるから、それだから、わざと庭へおろして聞かせるように趣向を凝《こ》らしたものだと、黒羽二重はこういうように独合点をしてしまったほど、それほど、庭の中へ、燈籠を少し左へ避《よ》けて後ろへあしらった、お玉の形がよかったものであります。それから、おもむろに間の山節の歌、
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夕べあしたの鐘の声
寂滅為楽と響けども
聞いて驚く人もなし
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 ここへ合の手が入る。
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花は散りても春は咲く
鳥は古巣へ帰れども
行きて帰らぬ死出の旅
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 し――で――のたび、人を引張って死出の旅へ連れて行きそうな音色《ねいろ》。お玉の面《かお》はやや斜めにして、花は散りても春はさく……の時、声が甲《かん》にかかって、ひとたび冴《さ》えてい
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