して殺したようなものだ、申しわけがありません、どうも済みません」
「そんなことはねえ、歌をうたう方と死にたくなる方とは別々だからあやまらなくてもいい。それで終いの方へ行って、わたしは快くあの世へ行きます。あの世へ行けば知った人はいくらでもいますけれど、この世に残るあなた様にはお頼りなさる人がひとりもないと思うと、冥路《よみじ》のさわりのような心地も致しますけれど、何事もこれまでの定まる縁……こんなことも書いてある、筆もなかなか見事だし、文言《もんごん》もうめえものだ」
「そう聞いては、わたしはじっとしていられない、わたしの身はどうなってもかまわない、友さん、わたしは大湊まで行くわ、行ってその小島さんとやらにお詫びをするわ、こうしちゃいられません」
「そうだなあ」
十二
船大工《ふなだいく》の与兵衛は仕事場の中で煙草を喫《の》んでいました。炉《ろ》の焚火《たきび》だけが明りで、広い仕事場がガランとして真暗《まっくら》でありました。
「何とかしなくっちゃあ」
ひとりで呟《つぶや》いている。
伊勢の海は昼でさえも静かなものであります。夜になったのでは雌波《めなみ》
前へ
次へ
全148ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング