お》は恐ろしい、死物狂いになって真剣に荒《あば》れ出されてはたまらない、深傷《ふかで》、浅傷《あさで》の槍創《やりきず》を負って逃げ退《の》くもの数知れず、米友は無人の境を行くように槍を突っかけて飛び廻る。ムクもまたそれに続く。
 そこへスーと手槍を突き出したのが宇津木兵馬でありました。
「待て」
「馬鹿野郎、俺《おい》らの前へ槍を出す奴があるか」
 兵馬の突き出した槍は米友を驚かしました。米友が何故に驚いたかといえば、自分の前へ槍を突き出すのは、餅屋の前へ来て餅を売り、川の岸へ来て水を売るのと同じことだから、それで驚いたものと見えます。なにも兵馬の槍先が最初から怖ろしいのでそれで驚いたのではありませんでした。槍を取れば、宇治山田の米友の眼中に人はなくなるのだから、驚いた後は小癪《こしゃく》に触《さわ》ってただ一突きに突き倒す気合で来たのを、中段につけていた兵馬はスーとそれを引いて、撞木返《しゅもくがえ》りに米友の咽喉元へ槍が行く。
「や、や、や」

 米友はタジタジと後ろへさがった。
「やるな、こん畜生」
 後ろへさがって米友は待《まち》の形《かた》に槍を構え直した。兵馬は敵の退いた
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