クと鳴いているのであります。
「かまあねえから突っついて食ってしまえ、食ってしまえ」
 竿の先を巾《きれ》で拭いているところを見ると、二寸ばかりの鋭利なる穂先が菱《ひし》のように立てられてあるのでありました。
[#ここから2字下げ]
それを殿御が聞きつけて
留まれ留まれと袖を曳く
[#ここで字下げ終わり]
 これがこの先生の得意の鼻歌であると覚《おぼ》しく、前にもこれを歌っていたが、
[#ここから2字下げ]
それで留まらぬものならば
馬を追い出せ弥太郎殿……
[#ここで字下げ終わり]
 この時、裏手の方で、
「米友《よねとも》さん、米友さん、家にいるの、よう米友さん」
 息を切った女の子の声。
「誰だい、玉ちゃんかい」
「米友さん」
 この子供のような年寄のような壮者《わかもの》のような奇妙な男の名は米友というのでありました。そこへ駈け込んで来たのは、今なにもかも夢中で我が家を逃げ出して来たお玉であります。
「どうしたんだい、玉ちゃん、跣足《はだし》で、息を切って。唇の色まで変ってらあ」
「米友さん、大変なんだよ、大変が出来たんだから、わたしを隠して下さい」
「大変というのは、いったい
前へ 次へ
全148ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング