が旅人の投げる銭を受けるのは、面《かお》を反《そむ》けて受けたり、笠を傾けて受けたり、撥《ばち》で発止《はっし》と受けたりします。
三味を弾くことの練習と一緒に、銭を受けることの練習をも子供の時分から精を出していますから、天性|上手《じょうず》なものになると、武術の達人が投げた手裏剣《しゅりけん》をも外《はず》すの妙に至るものが出来たということであります。
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水になりたやお伊勢の水に
お杉お玉が化粧《けしょ》の水
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こういってあやかりたがるほどの両人《ふたり》が容貌も、それに投げつける銭と同じことで、打ち込んでみた時には必ず外される。
近寄れるけれども、触れることのできない美しさ、美しい哉《かな》、「ほいと」の娘はついに「ほいと」の娘で朽《く》ちてしまわねばならぬ運命を持っていました。もしその美しさに触れんとならば、「ほいと」と一緒に腐ってしまう覚悟でなければならぬ。
今のお玉の母が、やはりこの部落から出て、お玉を勤めている間に、この苦しい瀬戸を越えて今のお玉を産み落したのでありました。そこに悲しい物語があって、今のお玉は現在自分の
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