兵衛さん、御苦労御苦労、もうここでよろしい」
 それは仙公を連れて、船大工の与兵衛に送られた長者町の道庵先生でしたから、兵馬も驚いたが、お松の方がいっそう意外な感じがして、直ぐに呼びかけようとしていますと、道庵先生はお松の方には気がつかず、与兵衛に向って、
「もうここでよろしいから帰ってくれ給え。うむ、もうどちらも大丈夫、心配することはない。野郎の方は少々|跛足《びっこ》になるかも知れないが、身体のところは間違いっこなし、薬は飲まなくっても放《ほ》っておけば自然に癒《なお》る」
「へえ、どうも有難うございます、ほんとにどうも、全く先生のおかげさまで」
 与兵衛は道庵の前へしきりに頭を下げる。
「それから、あの眼の方なあ、あの眼は野郎から見ると難物だからな。しかしまあ、ああしておけば十日や二十日は持つ、そのうち江戸へ出て来るというから、来たら拙者《わし》がところへよこしなさい」
「へえ、何から何まで有難うございます」
 与兵衛は繰返してお礼を言います。
 ここで道庵先生が、野郎の方は少々|跛足《びっこ》になると言ったのはもちろん米友のことで、眼の方は難物だというのはたぶん机竜之助のことで
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