てしまったのでございます」
「この手紙を、そなたは読んでしまわれたのか」
「はい」
「目の不自由なというそなたが」
「人に読んでもらいましたので」
「誰に」
燈火の穂先が慄《ふる》える。お玉は罪を詰《なじ》られるような心地がして、
「余儀ないわけで……途中で水の中へそのお手紙を落したものですから、それを乾かす時に、つい封じ目が切れまして、その時に懇意な人に読んでいただきました、その人は内緒《ないしょ》を人に洩らすような人ではございませんから、どうぞ御勘弁あそばして」
「それでは、この手紙の用向は委細のみこんでいるな」
「はい」
「では、その筋を話してもらいたい」
「よろしゅうございます」
お玉は、ここでようやく度胸が据わって、大事の大事の人の手紙を見てしまったことが、今までお玉の良心に大へんな重荷であったのを、こうして打明けてしまえば、その重荷を卸《おろ》した心持になってしまったのです。
「でございますけれども、あなた様、お驚きあそばしてはいけませぬ」
お玉は唾《つば》を呑んで念を押すと、
「驚きはせん」
竜之助は冷たい面《かお》の色。
「このお手紙は、あの、遺書《かきおき》になっているそうでございます」
「遺書に?」
「はい、それで二十両のお金、あなた様の御病気をお癒《なお》しなさるようにとのお心添えなそうにございます」
「そうか」
存外に冷やかな響きでしたから、今度はお玉の方が満足しませんでした。
「おかわいそうに、このお手紙をお書きなすって、お金と一緒に私へお頼みなすったあとで自害をなさったのでございます。死んで行くわたしは定まる縁でありますが、生きて残るあなた様のお身の上が心配と記《しる》してあるそうでございます」
お玉の口には、頼んだ女の心が乗りうつるかと思われるほど熱が籠《こも》っていたが、
「ははあ」
竜之助の張合いのないこと、気の毒とか憐れとかいうような感情の動きは微塵《みじん》も認められないのみか、聞きようによっては、頼みもせぬに死んでくれたというようにも響きましたので、お玉の胸にはむらむらと不満がこみ上げて来ました。
「あの、このお方は、あなた様の御親類筋のお方でございますか、それとも御兄妹《ごきょうだい》でいらっしゃいますか」
「親類でもないし、兄妹でもない、赤の他人じゃ」
「赤の他人でさえ、こんなにまでなさるのに……」
お玉は、冷やかな竜之助の態度を見て、反抗的に単純な感情がたかぶって来るのでありました。
「わたしが悪うございました、わたしが悪いのでございます」
「お前が悪いことはあるまい」
竜之助は冷々《れいれい》たるもの。
「いいえ、わたしが悪いのでございます、その方を殺したのはわたしでございます、あの方は自害をなすったのではございませぬ、わたしが手にかけて殺したのでございます」
「お前があの女を殺した?」
「はい、わたしが歌をうたわなければ、あの方は死ぬのではありませんでした、わたしが歌をうたったばかりに、それを聞いて死ぬ気になったのでございます、それですから、わたしが手を下《くだ》して殺したのも同じことでございます」
お玉は熱狂する。
「なんだか、お前の言うことはわからない」
竜之助は冷淡。
「わからないことはございません、わたしが間の山節をうたいまして、それをあの方が離れでお聞きなすって、それから死ぬ気になったのでございます、このお手紙にもそれが書いてございます、鳥は古巣へ帰れども、行きて帰らぬ死出の旅と、わたしの歌が遺書《かきおき》の中に書き込んであるのが証拠でございます」
「それは妙な証拠じゃ、歌を聞いて死ぬ気になったからとて、その歌をうたった者が殺したとはおかしい。歌うものは勝手に歌い、死ぬ者は勝手に死ぬ……」
「勝手に死ぬ?」
お玉の極度にのぼ[#「のぼ」に傍点]った熱狂がこの一語で一時に冷却されて、口が利けないほどに唇がふるえましたけれど、それが過ぎると前よりも一層のぼせて、
「死ぬ者は勝手に死ぬとは、ようもまあ、そのようなお言葉が……なるほどわたくしは賤《いや》しい歌うたいでございますから、勝手に出まかせに歌もうたいましょうけれど、お死になさる人は決して酔狂《すいきょう》でお死になさるのではございません」
「…………」
「どういうわけか、わたくしなどはちっとも存じませぬけれど、どうやらかのお方はお前様のために廓《くるわ》へ身を沈めて、慣れぬ苦界《くがい》の勤めからこの世を捨てる気になったのでございましょう、それが死んで行く時まで、あなた様のことを心配して、あの中からお金まで都合して下さるおこころざしは、わたくしなどは他《はた》で聞いてさえ涙が溢《こぼ》れます、それですから、わたくしは途中で自分が捕《つか》まって殺されてもいいから、この手紙だけはお届けしな
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