怖《こわ》くてたまらないところへ、見も知りもしない人と一緒に、どうして置放しにされていられるものか、
「ああ、わたしは帰りましょう、外へ出てしまいましょう」
「何も怖がることはないというのに」
 与兵衛はかえってお玉の縋るのを突き放すように先へ出て、扉《と》をハタと締め切って、自分だけさっさと出て行ってしまいます。
 お玉は取付く島がない。やっと落着いてみれば、悪気でここへ連れて来る与兵衛親方ではないし、ここにいる人だって、なにも自分を取って食おうというのでもないのだから、怖ろしいうちにもまたそこへ腰をかけてしまいました。
 知れない人は、まだ俯向《うつむ》いて眼を洗っていましたが、そのうちにふいとお玉の眼に触れたものは、敷物の傍《わき》に置かれた大小の腰の物でありました。それで、お玉はこの人がお武家《さむらい》であるということを知って、いっそう心細いような、心強いような、妙に混乱しきった心持になっていると、
「お豊から手紙を持って来てくれたのはお前さんか、こっちへお上りなさい」
 ようやく面《かお》を上げた人を見ると、痩せた身体に蒼白《あおじろ》い面の色が燈火《あかり》を受けて蝋のように冷たく光る。
 お玉は知らない。これは机竜之助でありました。
「どうもまことに申しわけのないことを致しました」
 お玉はお詫言《わびごと》から先です。
「とにかく、こっちへ上って、まことに済まないがこの手紙をひとつ、拙者に読んで聞かしてもらいたいが」
 竜之助は手さぐりにして燭台を少し動かしました。
 こう言われてお玉は、ハッと耳まで赤くなったのです。
「はい、あの……」
 お玉には手紙が読めないのでした。今まで読めないで通って来たし、読めと言われたこともないのに、ここへ来て恥かしい思いをしようとは思いませんでした。
 竜之助は、お玉が遠慮をしているものとでも思ったのか、
「拙者《わし》はこの通り目が不自由でな、せっかく手紙を届けてもらってもそれを読むことができない、どうぞここで代って読んでみて下さい」
 静かな声で折返して頼む。
「はい、あの……」
 お玉は困ってしまい、
「せっかくでございますが、あの、わたしも目が不自由なのでございまして」
「そなたも目が不自由……」
「はい」
「それはそれは」
「いいえ、目は見えるのでございますが、字を読むことができませぬ、お恥かしゅうござい
前へ 次へ
全74ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング