国の鈴鹿峠《すずかとうげ》の下で、悪い駕籠屋《かごや》からお豊が責められて、そのとき詮方《せんかた》なくお豊が駕籠屋に渡そうとした簪がこの簪と同じ物でありました。お豊を初めて見た竜之助が、さてもお浜によく似た女と思った後に、茶屋の老爺《おやじ》が拾った平打の簪を見ると、それがまたお浜の以前の定紋《じょうもん》と同じことであった下り藤であったので、竜之助はその簪を持って京都まで上って行ったはずであります。京都から十津川《とつがわ》までの竜之助はあの通りの竜之助で、饅頭《まんじゅう》の代りに帯刀をすら差出してしまった竜之助ですから、あの一本の簪だけを今まで持っていたはずはありません。これはおそらくその後、竜神からお豊と共に逃れて後、お豊の手から再びわが手に入れた物であろうと思われます。思い出の多かるべきはずの竜之助が、その簪に対してはさまでの惜気《おしげ》がなくて、なんらの縁のないお玉は、その簪のために泣かねばならなくなりました。お玉は泣き、竜之助は泣かせておくと、またも天上から落ちて来るように浪の音が蓑《みの》を鳴らして湧き立ちました。
 伊勢の海は静かな海で、ことにこれより北へかけての阿漕ヶ浦は、その夕凪《ゆうなぎ》と朝凪《あさなぎ》とで名を得た海であります。南へ続く二見ヶ浦とても決して荒い海ではありませんけれど、二見ヶ浦を一足廻って、神崎の鼻へ出ると遽《にわか》に波が荒くなります。
 紀州灘《きしゅうなだ》や遠州灘で鳴らした波が、伊勢の海の平和を乱してやろうと、そこから押して来る、それを神崎の潜《くぐ》り島《じま》や俎島《まないたじま》、その他、水底にかくれた無数の隠れ岩がやらじと遮《さえぎ》るのですから、風浪険悪の夜は潮鳴りの声が大湊まで来るのは不思議ではありません。
 ただ不思議なのはその浪が、或いは天上から落つるように、或いは地の底から来るように、この室には響いて来ることです。
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十七姫御が旅に立つ……
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 これも不思議、その声がどこから起ったか、浪と一緒だから海から来たものであろう、微《かす》かに響いて来たのですけれども、お玉の耳には聞き洩らすことのできない声、米友の好んでうたう歌に相違ありません。
 そもそも自分らが今いるこの部屋は、家の奥にあるのか、地の底にあるのか、或いは海の岸にあるのか。

      
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