りから黒煙が渦《うず》をまく。
 兵馬も宿には大事のものが残してないではない。心にかかるからそのまま引返して湯元へ来ました。
 火事は室町屋から出たので、今しも台所を吹き貫《ぬ》いて、二階の廊下を焼き抜いて、真紅《まっか》の炎《ほのお》がメラメラとのぼる。
 兵馬は神木屋へかけ戻って、店の若い者と一緒に始末をしている。
「室町屋の若主人が、急に気がふれ出した……」
 兵馬は合点した。あの金蔵という奴が荒《あば》れ出したな――こうと知ったら、もう少し手厳《てきび》しく戒《いまし》めておけばよかったと思いました。
 けれども、金蔵は三輪でやらなかったことをここでやるのですから、どのみち金蔵としては、やるべきことをやってしまいました。お豊もまたあの時、金蔵を捨てるはずのを今ここで実行したものですから、お豊がなくなって金蔵の執念が勃発《ぼっぱつ》するのはあたりまえのことでありました。
 兵馬は、それを知らないで、ただ無茶な乱暴男もあればあるものと思っています。

 この火事は人家の方へ出なかったけれども、それより悪いことは、山へうつってしまったことです。人家の火事は消しようがあるが、山の火事は
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