られない。金蔵が恨もうと、お豊が帰るまいと、別に心に残ることはなかったが、兵馬が去ってから後の室町屋には大変が出来《しゅったい》しました。
 その晩のこと、金蔵が荒《あば》れ出した――その荒れ方も尋常ではない、一室に押込めて、家中総出で警戒していたにもかかわらず、金蔵はついに荒れ出して脇差を抜いた。それでもって、支える奴を縦横無尽に斬り立てた。
 父親の金六も手を負わされた、母のお民も斬られた。
 それから、台所に飛んで出て、火を焚いていたおさんどんを蹴飛《けと》ばして、その火を取って投げ散らした――その火は障子についてめらめら[#「めらめら」に傍点]と燃え上る。
 血に染《にじ》んだ脇差を振り廻して表へ飛んで出た。
 忽《たちま》ちの間に湯元村をひっくり返すほどの騒ぎとなった。
 金蔵が血刀を引っかぶって通りへ飛び出して、
「お豊、兵馬」
と名を呼んで二人を求めんと狂い廻る。兵馬はこの時、こんなこととは知らずに神木屋というのへ宿を替えて、その朝は、昨夜のあの護摩壇《ごまだん》へ行こうとして大師堂の傍まで来たのであったが、不意に火事よという声で振返って見ると、すぐ眼の下の、室町屋のあた
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