うんだ」
「滅多《めった》なことを言われる」
 兵馬は屹《きっ》となった。見れば酔ってもいるようだが、それにしても聞き捨てならぬ一言である。
「ナニ、滅多なことが、どうしたんだ。さあ女房を出せ、おれの女房のお豊を出せ。前髪のくせに、ふざけたことをしやがる。どこへ隠した、早く、おれの女房のお豊を出せ!」
 金蔵は、持って来た脇差《わきざし》を抜いて振りかぶり、大胆にも兵馬をめがけて切ってかかりましたけれど、これは問題にもなんにもなりません、すぐに刃《やいば》は打ち落されて、兵馬の小腕に膝の下へ引据《ひきす》えられ、
「無礼にもほどがある――店の衆――誰かおらぬか」
 兵馬は金蔵を組み敷いておいて、声高く店の者を呼びました。

 金蔵は家族や店の者が総出でつかまえて、欺《だま》し賺《すか》しつつ引張って行きました。
 父の金六は兵馬の前へ頭を下げて詫《わ》びをする。兵馬は別に深く咎《とが》めるつもりはないが、言いがかりにしても潔《いさぎよ》くない言いがかりだと思いました。
 明日は宿を換えようと心に決めながら浴室へ行く、寝る前に一度、湯に入ることがきまりになっている。そこから浴室までは大分
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