人が、どうやらこの人らしいと思ったが、そのままにして、自分は己《おの》れの部屋へ入ってしまいます。
床を展《の》べに来た女中に聞いてみると、お内儀《かみ》さんが、さっき出たまま、まだ帰らないので、旦那様が焦《じ》れて怒っているのだと言いました。そんなことは兵馬が聞いたって別に心配することではありませんでした。
兵馬が二階へ上った時分、金蔵の眼が一層|険《けわ》しくなって、天井を睨《にら》みつけたようでしたが、
「喜六、今のはありゃ、うちのお客か」
「へえ、左様でございます」
「いつごろから来た」
「旦那様が、和歌山へお出かけになって間もなく」
「そうか……」
金蔵は番頭からこれだけ聞いて、また兵馬の通って行ったあとを睨みつけて、
「一人か」
「へえ、お一人でございます」
「侍のようだな」
「左様でございます、十津川騒ぎからこちらへお越しになりました、藤堂様の組だそうでございます」
「何しに来たのだ」
「兄様《にいさま》の仇《かたき》をたずねておいでだそうでございます」
「兄の仇?」
金蔵は、また苦り切って押黙《おしだま》ったが、
「聞いて来い、今のあの若侍に聞いて来い」
突然
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