、その後でなければあれへ参れぬことになっておりまする」
「水垢離をとった上で?」
 兵馬は小首を傾けて、
「それほどまでにして信心にも及ぶまい」
 彼は、その護摩堂へ行くことを思い止ったものらしい。
 お豊は挨拶をして、かの階段を下りて行きました。
 兵馬は、またそぞろ歩きをはじめたが、ふと思うよう、あの女は、たった一人で何しに、この淋しいところへ来たものであろう――さいぜんの自分を呼びかけた旅の男は、お豊、お豊と、女の名を呼んでいた、或る種の女にはよくある迷信じみた信心から、ここへ夜詣《よまい》りに来たものであろう。
 兵馬はこんなことを考えて、社殿の前へ来ました。そこで社殿の背後を見上げるとかの護摩壇の森。そこへは、行ってはならない、行かないがよいと戒《いまし》められてみると、どうも、それだけに不思議があるようだ。そうだ、自分が、この附近で、まだ足を踏み入れぬのはあの護摩壇の森――よしよし、なにほどのこともあるまい、上ってみよう。
 兵馬は一文字に森をめがけて進んで行くのでした。無論、かの御禊の滝の水垢離などには頓着せずに――

         九

 机竜之助が隠れているところ
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