にいたことは気がつかなかったので、お豊が狼狽《あわ》てて着物をとりかかろうとしたから、はじめて人のここにいることを感づいたらしいのです。
「誰かいる――」
と小首をかしげた上で、お豊の方に向き直って眼をつけるかと思うと、そうでなく、白衣の人は、そのまま杖で地面を叩き、極めて徐《しず》かに大師堂の方へ小道を辿って行きます。
お豊は、ホッという息をつき、大急ぎで引っかけた着物の襟《えり》を直してその人の後ろ影を見送るのでありましたが、やっぱり、これはこの山に住む修験者か山伏のなかの一人――自分が今たずねて行こうとする修験者のお弟子かも知れぬ、或いはその修験者かも知れぬ。只人《ただびと》ではない、里の人でないにきまっているけれど、それにしても困ったことであります。
「水垢離《みずごり》の現場を人に見られたら、その功力《くりき》が亡びる」
これは、やっぱり六助がそう言った。
そんなら、たとえ修験者であろうとも、山伏であろうとも、人の眼に触れてしまった上は、もうもう水垢離の信心はフイになった――お豊は気が抜けたが、急に腹立たしさが込み上げて来ます。帯を結びながら、その白衣の男のあとを睨《に
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