せない、あんな気立てのよい姉上が、なんと心が狂って、竜之助のような奴に欺《だま》されたことだ。
取返しがつかない、悔やんでも及ばない。兵馬は、これが浅ましくてたまらないのです。憎い者の罪は憎めるけれど、憎めない者の犯した罪はどう憎んでよいかわからぬ。兵馬は常にお浜のために、その罪を憎まんとしてかえってその人のために泣きたくなるのです。
兵馬には、女の心の浅ましさがわからない。けれども要するに、自分の身の廻りの言わん方なき苦しき紛紜《ふんうん》は、一《いつ》にお浜の心から来ていると、思えば思えるのである。人の一念こそ真に怖るべし、ちょっとした心の狂いは、無限に糸を引いて、それからそれとからみつくものである、その人が亡くなったとて、その一念の糸はなくなるものでない。
今、自分の枕元へ丸い行燈を据《す》えて、燈心を程よく掻《か》きなして行ってくれたこの宿の若い女房の姿を思い浮べると、胸から乳へかけて真白な肌に血のかたまりが!
そんなものがあるわけはないが、兵馬は、あの芝の松原の、お浜の酷《ひど》い殺され方を思いやって身の毛が竦《よだ》つのでありました。
竜神村の夜は静かで、犬も煩悩
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