かけて草鞋《わらじ》の紐を解く。
「お内儀さん、金蔵どのはまだ帰らぬかな、えらい永逗留《ながとうりゅう》じゃ」
「まだ二三日は、帰るまいと思われますのでございます」
「そうか。なにしろ近国では、あのような騒ぎ故、早く帰ってくれないと困る」
「左様でございます」
「では、お頼み申しましたよ。それから、あのな、御如才《ごじょさい》もあるまいが、先刻《さっき》の人相書、あれはよくよく気をつけてな、何の遠慮はいらぬから、怪しいのが見えたら、早速、わしがところなり組合の衆なりへ申し出てもらいたい……いや、こちらのこのお武家様に直接《じか》に申し上げてもよろしい、頼みましたぞよ」
「ええもう、委細承知致しました」
 この時、若い侍は草鞋を解き足を洗い終る。
「さあ、どうぞ、これへ」
 お豊は、さきに立って案内する時、いままでは蔭であった行燈の光でよく見れば、まだ前髪立ちの少年で、これは申すまでもなく宇津木兵馬でありますけれど、お豊は、まだこの人には近づきがなかったのであります。

         四

 温泉寺の鐘が九ツを打つ。
 兵馬は、いま枕について、まず頭にうつるものは、いま自分を案内して
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