た。
もはや、机竜之助の方は誰も相手にしなかった。竜之助が、こんなふうにつむじ曲りの人間であることは、この連中がもうよく呑込んでいるものと見えて、一旦は憤激してみたけれど、今は取合いませんでした。
竜之助は黙って、自分だけは遺書《かきおき》もしなければ辞世もつくらず、介錯《かいしゃく》をしてやろうとも言わず、もとより頼もうと言う者もありませんでした。
そのうちに、余の十人は、それぞれ辞世の詩歌、妻子へ申し遺すことなどを書いてしまいました。
[#ここから1字下げ]
水野善之助は、二の腕の創《きず》をよく結び直しながら、
「宮の御鎧《おんよろひ》に立つ所の矢|七筋《ななすぢ》、御頬先《おんほほさき》二の御腕《おんうで》二箇所突かれさせ給ひて、血の流るること滝の如し」
朗々と太平記を口ずさむ、それを荷田重吉が引受けて、
「然れども立ちたる矢をも抜き給はず、流るる血をも拭ひ給はず、敷皮の上に立ちながら大盃《おにさかづき》を三度傾けさせ給へば、木寺相模《きでらさがみ》、四尺三寸の太刀の鋒《きっさき》に敵の首をさし貫いて宮の御前に畏《かしこま》り……」
木村清太郎は長い刀を抜いてそこへ跳《
前へ
次へ
全85ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング