して中山殿の御跡《おんあと》をお慕い申してみたい者は、そのようになさるがよい、国に残る妻子眷族《さいしけんぞく》のことが気にかかるものあらば、それもまたお心任せ」
酒井賢二郎は一同を見渡して念を押すと、静まり返った中から、
「いかにも酒井氏の申さるること、道理至極、死すべき時に死せざれば死するに勝《まさ》る恥がある。今はとても中山殿のお跡を慕うこともなり難し、いわんやまた、いまさらに妻子眷族に未練《みれん》を残す者もあるまい、ここで腹を切るが最上の武士道と存ずる」
水野善之助というのがこう申し出でる。自然これが一同の意志を遺憾《いかん》なく代表したことになった時に、
「拙者一人だけは――」
ヒヤリと剃刀《かみそり》で撫でたような言葉。それはさきほどから隅の方に黙々としていた机竜之助の声でしたから、一同の眼先は箭《や》を合せたように竜之助の面《かお》に注ぐと、
「切腹は御免を蒙《こうむ》る――」
「何と言わしゃる」
「拙者は、まだここで死にたくないから、一人でなりとも生き残って落ちてみるつもりじゃ」
「死にたくない?」
浪士たちの眼から電《いなずま》が発するようですけれど、竜之助
前へ
次へ
全85ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング