、或いは戦死し、或いは自殺して、義烈の名をのみ留《とど》めた――十津川の乱の一挙は近世勤王史の花というべく、詳しく書けば、ここにまた一つの物語を見出されようけれども、それはここに必要を認めず。いよいよ、これらの一味の者が散々《ちりぢり》になって、或る者は伊勢路へ、或る者は紀州領へ、或る者は大阪方面を指して、さまざまに姿を変えて落ちた後のことであります。
 鷲家口《わしやぐち》の戦いから落ち延びた十一人の浪士が、木にも草にも心を置いて風屋《かぜや》村というところへさしかかって、
「ああ、水が飲みたい」
「水が欲しい」
 村とはいうものの、ここは十津川|郷《ごう》の真中で名にし負う山また山の間です。十津川の沿岸を伝うて行けばなんのことはないのですけれども、四藩の討手《うって》が、残党一人も洩らすまじと、夜となく日となく草の根を分けている際ですから、それはできませんでした。
 大日《だいにち》ヶ岳《たけ》へ連なる山々を踏みわけて、木の繁みを潜《くぐ》り潜り歩いて行くのだから、水にも遠くなる。水、水というけれども、木莓《きいちご》一株を見つけ出してさえ、十一人の眼の色が変るくらいですから、その
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