います、焼きましょう」
「しからば、これを持って行け」
 新八郎は、腰にさげたやや重味のある袋を出して惣太に取らせる。
「これは何でございます」
「それは火薬である、その方はそれを持って、なにげなき体《てい》で小舎へ帰れ、気取《けど》られぬように、小舎を締め切って程よいところから火を出せ、その火を合図に我々が取囲んで、一人も残さず搦《から》め取る」
「よろしゅうございます、やってみましょう、ずいぶんあぶない仕事ですが、なあに、やってやれないことはござんすまい」
 落武者は十一人と数が知れても、それが死物狂《しにものぐる》いに荒《あば》れる時は危険の程度が測られない、新八郎が惣太に火薬を授けたのは、その辺の遠慮から出た計画と見える。
 藤堂方の討手は小舎を遠巻きにしていると、惣太は心得て、火薬袋を腰にぶらさげて小舎へ戻って来たが、このとき、小舎の中はもう薄暗い。
「皆様方、帰って参りました」
 戸をあけて中へ入ると、
「おお、猟師、どこへ行っていた」
「はい、米が切れたから里へ取りに参りました」
 浪士らは、深くも惣太を怪しまぬようでした。惣太はおそるおそる炉の傍へ寄って、
「今、米を炊《た》いて上げましょうぞ、なんしろ鍋が二つしかございませんから、こいつを洗って、これでお米を炊くと致しましょう」
 いま猪の肉を煮ていた鍋を惣太は取り下ろして、提げ出そうとする途端に、腰に下げていた、さっき新八郎から授けられた火薬袋の紐が解けて火薬はドサリとそこへ落ちました。
「猟師、何か落ちたぞ」
「へえ……」
 惣太の唇の色が変ってしまいます、鍋を持った手がワナワナと顫《ふる》えます。
「これはその……」
 鍋を下に置いて、あわててそれを拾い取ろうとする挙動があまりに仰山《ぎょうさん》なので、荷田重吉が不審に堪えず、
「それは何だ」
「これは――ゴウヤクでございます」
「ゴウヤクとは何だ」
「何でもございません」
 拾い取ろうとする惣太の手首を荷田が押えて、
「ちょっと見せてくれ」
「ええ……御冗談《ごじょうだん》」
「貴様、まだ何か隠しているな、ゴウヤクとは何だ、出して見せろ」
 荷田も、これが火薬袋とは知らないが、惣太の挙動があまり仰山なので、ついついそれを取ってみる気になると、惣太は面《かお》の色を失って荷田の手を押し払って、それを拾い取って懐中へ捻《ね》じ込もうとしますから、いよいよ嫌疑《けんぎ》が深くなるわけです。
「こりゃ猟師、貴様はただいまどこへ行った」
「里へ米を買いに」
「黙れ、この近いところに米を売るようなところはあるまい、貴様は訴人《そにん》に出かけたな、我々の所在《ありか》を敵の討手へ知らせに行ったのであろう」
「ど、どう致しまして」
「その袋が、いよいよ以て怪しい」
 荷田は力を極《きわ》めて袋を引ったくる、惣太は力任せにそれをやるまじとする、その途端《とたん》にころがり出したのが炭団《たどん》ほどな火薬二個。
「やあ、これは火薬じゃ」
「おのれ!」
 一人の浪士は抜打ちに惣太を斬ろうとする。惣太は絶体絶命で、眼の前に転がって来た火薬を一つ掴《つか》むや否や、燃え立っていた炉の中へスポッと抛《ほう》り込みました。
 轟然《ごうぜん》たる爆発。鍋は飛び、炉は砕け、山小屋は寸裂する、十一人のうち、二人即死。面《かお》を半分焼け焦《こが》されたの、手の肉をもぎ取られたの、全身に大火傷《おおやけど》をしたの。肉が飛び血が流れ、唸《うめ》き苦しんで這《は》い廻る上に火がメラメラと燃え上りました。
「ソレ合図だ」
 遠巻きにしていた藤堂の討手は、意外に早く火があがったのを怪しみながら走《は》せつける。
 この場で即死した二人のほか、焼け爛《ただ》れて歩行の自由を失い、藤堂の手で搦《から》められたものが一人、あり合う俵や菰《こも》を引っかぶって逃げ出し、折からの闇に紛《まぎ》れて行方知れずになったものが七人。
 しかし、このうち六人はその翌日《あくるひ》、紀州方面へ逃げて行くところを、紀州勢の見廻りに出会って山の中でつかまってしまいました。
 十一人のうち、十人まではこんなことで運命が定まったに拘《かかわ》らず、どうなったかわからないのがたった一人、それがすなわち机竜之助でありました。

         三

 紀伊の国、竜神村の温泉場で今宵《こよい》は烈しく犬が吠《ほ》えます。
 山村とは言いながら、客には慣れたはずのこの里で、こんなに犬の吠えるのは珍らしいことです。
 時はもう秋に入るのであるから、爽《さわや》かなるはずであるべき天候が、まだなんとなく雲を持って、桶《おけ》の底のようなこの土地を、ひたひたと上から押してくるようなので、湯の客人もなんだか、近いうちに暴風雨《あらし》でもなければよいがと言っていました。
 犬も、
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