突いた杖にすがるほどに近寄って、下から笠の中をのぞき込むくらいに見ましたが、
「護摩壇《ごまだん》の修験者様ではござりませぬか」
吉田とも竜太郎ともたずねてみなかったのは、もう一ぺん、声音《こえ》を聞いてみたかったからです。
「いいや、修験者ではない」
もう充分である、修験者でなくてもよい、誰でなくても、その声の持主であればよいのである。
「それでは、あの吉田様……」
「吉田?」
かぶっていた笠がこころもち揺《ゆら》ぎます。
「竜太郎様――」
「竜太郎?」
「あの三輪の植田丹後守様においでになった――」
「三輪の植田丹後守?」
「間違いはござんすまい」
お豊は、その白衣の袂《たもと》に縋《すが》らんばかりに取付いたのでしたが、白衣の人は動かず。
「違う、拙者は吉田竜太郎とやら、そんな人は知らぬ」
「まあ、知らぬとおっしゃいますか――」
疑うべからざるものを疑う、お豊は、しばし取付端《とりつきば》に迷いました。
「そなたは女子《おなご》のようじゃが、誰じゃ、どなたでござる」
「お忘れになりましたか、豊でございます。三輪の薬屋におりました……」
「豊……お豊……」
白衣の人の姿勢はこの時くずれた。
「うむ、その声に違いはないようじゃ、珍らしいところで会った」
「ああ、左様でござんしたか」
お豊は、その人にすがりつくように身をその足許《あしもと》に投げたのを、白衣の人、すなわち机竜之助は、徐《しず》かにその手で受けたが、二人が面《かお》を見合すべく、木《こ》の下闇《したやみ》は暗いし、よし日と月がかがやき渡っても、竜之助はおそらく昔の眼でこの女を見ることはできまい。
「まあ、あなたは……」
お豊は何から言い出して、あの驚き、喜び、つづいて来る怖れを表わそうかを知らないのであります。
竜之助は、よりかかるお豊の身を両手に受けたが、何を思ったか、遽《にわ》かに振り放つようにして、
「危ない、このまま別れよう」
背を向けて、そうして杖で徐《しず》かに地を叩いて歩み出そうとします。
「どうぞ、お待ち下さい」
お豊は、あわててその袂を捉《とら》えて、
「なぜ、そのように情《つれ》なくなさいます、あなた様のお身の上もお聞き申さねばならず、私の身の上もお話し申し上げねばなりませぬ」
それでも竜之助は振返らない。
「いや、こうしているのはあぶない、拙者の身も、お豊
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