はここに立っている。
「金蔵さん、お前は助かりましたか」
 お豊は逃げることもできないので、やっとこう言ってみますと、
「ああ、助かりました。あの時、針ヶ別所の山の中で、鍛冶倉《かじくら》の奴にひどい目に遭《あ》って、首へ細引《ほそびき》を捲《ま》きつけられましたがな、わしはまた、鍛冶倉を山刀で無暗《むやみ》に突き立てて突き殺しましたよ。わしも一旦は縊《くび》り殺されたのですがね、しばらくすると息を吹き返しましたよ。誰か知らん、首に捲きつけた細引をといてくれた人があったのでね。やれ嬉《うれ》しやと小舎《こや》へ這《は》い込んで見ると、お豊さん、お前の姿は見えないや……」
 金蔵は中腰《ちゅうごし》になって、お豊の前で、あの時の物語をはじめます。
「見れば鍛冶倉の奴は傍で死んでいるし、それではお豊さん、お前が逃げる時に、わしの首から細引をといて行ってくれたのかと思った時は、わしは嬉しかったよ」
「あの、それは……」
「それだけでも、わしはお前さんの親切が嬉しくって、嬉しくって。あれからわしは谷を這い廻ってやっと里へ出て、惣太《そうた》が家へ二日ばかりかくまってもらって、それから身体《から
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