て、お豊は行くのもいや、帰るのもいやになりました。
 地蔵堂の傍の蛇籠《じゃかご》へ腰を掛けてしまいました。そうしてぼんやりと夜の河原をながめていました。頭はいろいろのことを考えて、いっぱいになっていました。
「お豊さん」
 地蔵堂のうしろから不意に人が出て来たので、我に返ります。
「お豊さん、わしは金蔵じゃ、驚きなさるな」
「まあ、金蔵さん――」
 迷うて来た――金蔵は、とうとう幽霊になって自分に取附いて来た。驚くなと言ってもこれは驚かずにはいられない、お豊は身の毛がよだって、体がすくんでしまいました。
「お豊さん、驚いちゃいけません、金蔵です、金蔵がこうして生き返って来たのですよ」
 藪蔭《やぶかげ》から出て来た金蔵は、糸楯《いとだて》を背に負って、小さな箱をすじかいに肩へかけて、旅商人|体《てい》に作っていました。
「さあ、そんなに驚いちゃいけませんというに。お化《ば》けじゃありませんよ、金蔵は生き返って来たのですよ、お前さんというものが思い切れないで、生《しょう》で帰って来たのですよ」
 ああ、生き返って来たのに違いない、幽霊でもお化けでもなんでもなく、生《しょう》のままで金蔵
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