も、仮りに五十年と見積れば十万冊は読んでいる勘定になります。
武芸に至っては、どうも怪しい。家には先祖から道場があって、これも幼少の頃から、宝蔵院の槍《やり》、柳生流の太刀筋《たちすじ》をことに精出して学んだとはいうが、誰も丹後守と試合をした者もなし、表立って手腕を表《あら》わした機会もないから、事実どのくらい出来るやを知っているものはないのです。
ただ一度、どこかの藩の権者《きけもの》が、この三輪明神の境内《けいだい》へ逸《はや》り切った馬を乗入れようとした時に、通り合せた丹後守がその轡《くつわ》づらを取り、馬の首を逆に廻したことがある――馬上の武士は怒って、鞭《むち》を振り上げて丹後守を打とうとした時に、何のはずみ[#「はずみ」に傍点]か真逆《まっさか》さまに鞍壺《くらつぼ》から転《ころ》げ落ちて、馬は棹立《さおだ》ちになった。
なにげなき体《てい》でそのまま行き過ぎる丹後守の後ろ姿を見て、落馬の武士も、附添の者も、これを追いかける勢いがなかった、それを町の者が見て舌を捲《ま》いたことがある。それ以来、「御陣屋の大先生」の武芸を疑うものがなくなった。
机竜之助は、この人には
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