新兵衛は、その刀をとって見た。自分の刀である。
「さあ、どうじゃ、その刀は誰の刀であるか」
新兵衛はじっと見ていたが、
「これは拙者の差料《さしりょう》に相違ない」
「そうであろう」
役人は勝利である。
ここに至って、潔《いさぎよ》き新兵衛の白状ぶりを期待していると、新兵衛はその刀を取り直すが早いか我が脇腹《わきばら》へ突き立てた。
「や!」
並み居る役人も番卒も、一同に仰天《ぎょうてん》した。支えに行く間に、もう新兵衛はキリキリと引き廻して咽喉笛《のどぶえ》をかき切り見事な切腹を遂げてしまった。
あまりのことに一同のあいた口がふさがらなかった。
新兵衛は刀はたしかに自分の物と承認したけれど、姉小路を殺したのは俺だと白状はしなかった。これがために、疑問はいつまでも残された。
竜之助の次の間でも問題になったが、一説には、その前日、新兵衛は三本木あたりの料理屋で飲んでいるうちに、何物にか刀を摺《す》りかえられたという。武士が差料《さしりょう》を摺りかえられたことは話にならぬ、さすがの田中がその当座、悄気《しょげ》返《かえ》っていたという。
とにかく、姉小路を殺したものは
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