て薩州風、落ちていた鞘までが薩摩出来に違いないのであった。
「田中新兵衛――」
 薩摩の田中新兵衛とは何者とたずぬるまでもなく、その時分、評判者の斬り手である、人を斬りたくって斬りたくってたまらない男である。島田左近を斬ったのもこの男だと言われているのである。そうして、当時有名な志士の間にも交際がある、現に四五日前も、姉小路少将の家へ来て何か意見を述べて行ったことがあるという。
「田中を捉《つか》まえろ」
 田中は平気で薩州の邸内に寝ていた。呼び出してみると、
「左様なことは存ぜぬ」
 頑として、首を横に振る。
「存ぜぬとは卑怯《ひきょう》であろう」
 役人は詰《なじ》る。
「卑怯とは何だ、知らぬ者は知らぬ、存ぜぬことは存ぜぬ」
 新兵衛は役人をハネ返した。
「証拠が物を言うぞ、隠し立てをするな」
 役人は突っ込む。新兵衛は沸然《むつ》として、
「田中新兵衛は人を斬って、刀を捨てて逃げるような男ではござらん」
 あくまで手剛《てごわ》いので、役人は下役を呼んで持って来さしたのが、例の捨てて逃げた刀である。
「新兵衛、この刀に覚えがあるか」
 役人は、それ見たかと言わぬばかり。
「拝見」
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