から、どうも解らぬわい」
「申し開きをせず腹を切ったことだから、言わずと当人|罪《つみ》に落ちたものじゃ」
「そうとも言い切れぬ、何かその間《かん》に……拙者もよく知っているが、あの田中という男は人を斬ったこと幾人か知れぬ、人を斬ることは朝飯前と心得ている、近頃は仕事がなくて腕が鳴る、誰か斬る奴はないかと人斬りを請負《うけお》って歩くほどの男じゃ」
「それにしても先方に位がある、威に怖《おじ》けたかも知れぬ」
「そんなことはない、侍従や少将の位が怖《こわ》くて暗殺はできん」
「役人も、薩州方も、新兵衛の仕業《しわざ》と思うているそうじゃ」
「拙者は、やはりそう思わぬ、新兵衛ではない」
これだけ聞いたのでは何だかサッパリわからない。人を斬ったのは田中新兵衛である、いやそうでない、斬って刀を捨てて来た、当人は黙って切腹した、斬られたのは位のある人――これだけの話の筋を辿《たど》れば、かの主水正正清《もんどのしょうまさきよ》の長刀を帯していた新兵衛が、あの刀で誰をか斬ったものだろう。とにかく、あの男は何かやりそうな男であったが、はたして何かやった。しかし切腹とはかわいそうである。竜之助は、
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