ところへ七兵衛が水を呑みに下りて来たのでした。だから七兵衛は、ちょうどこれらの連中を始末するためにここへ下りて来たようなことになりました。

         十九

 伊賀の上野の鍵屋《かぎや》の辻《つじ》というのは、かの荒木又右衛門が手並《てなみ》を現わした敵打《かたきう》ちの名所。
 その鍵屋の辻に近い吉田屋という旅籠屋《はたごや》の一室に、机竜之助は、まだ袴《はかま》も取らないで柱によりかかっている。
 襖《ふすま》一重の次の間で、
「拙者は、田中新兵衛の仕業《しわざ》に相違ないと思う」
「いや、拙者はそう思わぬ、田中はそんな男でない」
 田中新兵衛という名。京都へ上るときに大津を出て、逢坂山《おうさかやま》の下の原で、後ろから不意に呼びかけて自分に果し合いを申込んだ薩州の浪人がそれだ。
「田中でなくば、あれだけのことはやれぬ、第一、証拠がある」
「いやいや、田中なら、あんなことはやらぬ。刀を捨てて逃げるような慌《あわ》てた真似《まね》をするものでない」
「というて、その刀は田中のほかに持つべき品でない」
「さあ、それが拙者にも解《げ》せぬ、田中はなんとも言わず腹を切ったことだ
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